2004年07月20日(火) |
現代人にウサギと亀はつくれるか その2 |
暑い。信州だって、別に爽やかなだけではないのである。
直木賞受賞作家の、熊谷達也さんのコメント。 「周りを見回してみると、今の時代、まともに自然や動物の姿を、 あるいは自然の中での人間の姿を描こうとする書き手が、 極端に少なくなっているような気がしてなりません」
今風の表現でいうと、激しく同意、である。
加えて氏は、その一方でアウトドアブームやペットブームがあることに触れ、 人々は自然に触れたいという欲求を強くもっていると思われるけれど、 自然に対して求めるのは癒しであり、畏れをもって厳しく向き合い、 そのうえで自然物の一部として受け入れてもらうというあり方が 忘れ去られ、必要とされなくなっているのではないか、とのコメント。
受賞作品は読んでいないが、このコメントだけで受賞に値すると思う。
*
自然とのかかわり以前に、人間と人間のかかわりさえも、 必要とされなくなっている、と付け加えたくなる。 癒してくれる関係が優先し、厳しく向き合う関係は敬遠される。 消費社会の論理だ。
氏のコメントは、つまり、 現代都市社会が抱える実体験の貧困さを表しているのだ。
大きな地震や水害などの天変地異でもなければ、 人や自然と、真剣に向き合う機会がない。 みな日々の、会社で仕事をしたり、学校に行ったり、 子どもを育てたりという通常業務で精一杯なのだ。 そしてそれは悪いことではないと思う。 私は別に先鋭的なナチュラリストではない。
要は、失ったものは失ったと認識し、 何年もかけて築き上げてきた都市の利便性とどうバランスをとりながら、 人間の内なる自然性を回復していけばよいのか、 知恵を絞る時がきたということだ。
そして、自然科学の専門家は、そういう「人間へのケア」という作業に、 責任と自覚をもつべきだ、というのが私の考えである。
*
蛇足であるが、世界的なクライマーである山野井泰史の 「垂直の記憶」は、その対極にある氏の自伝だ。 これはこれで、あまりに彼岸にありすぎて、壮絶であること以外、 理解できないのである。 Hは同業者だし、性格上、絶対に、涙を流しながら読んでいるはずで、 その読後感が本当は知りたいのだけれど、今のところコメントがない。
|