浅間日記

2004年01月22日(木) 老害図書

最近の弘兼さんはどうしたというのだろう。
迷走している気がしてならない。

「黄昏流星群」という連載については
「中高年にふさわしい漫画が必要」という
彼なりの目的があったことは知っている。
それにしても、だ。

先週のエピソードときたら、 −乱暴に説明すると− 
ある社会的地位のある初老の男が、息子と交際している年上女に、
息子のため交際をやめるよう試みる。
ところが逆にその女性に誘惑され愛し合うようになり、
挙句の果てには二人の間に子どもができてしまうという話だ。

ここで気になるのは、物語の中での息子の位置づけだ。

彼は最愛の女性から結婚を拒否され自殺未遂を図り、
身体の一部と生殖機能を失ってしまう。結局結婚するも、
妻は父親の子を宿しており、その息子との偽りの家庭の中で、
若い死を遂げてしまう。一切を知りつつ、死に際に妻を奪った父親を許す。

老人達の娯楽漫画とはいえ、弘兼は何故、
なんのためにこんな酷な「逆オイディプス王」を創出するのか。

物語の中では、女達も主人公の都合のいいように現れ、消える。
若さを失った初老の男の妻は、
浮気を重ね離婚を申し出て、舞台から去る。
しかも弘兼は、老いた妻が都合よく
主人公の前から消えるだけでは飽き足らず、
再婚した浮気相手とも破局するという救い難い結末を付け加える。

息子の妻でありながら、
自分と関係を持ち子までなしたその女ときたら、
息子が病死した葬儀の場で早くも主人公の男を誘う。

弘兼はこの女を
子どもを産もうが家庭を持とうがいつまでも人間として成長させず、
男に対し自分から性的アピールをし続ける、
まったく都合のいい女性として描いている。

「人間交差点」であんなに見事に、
上品な小説のように人の情を描くことができた弘兼は
一体どこへいったのだろう。

老人の色と金の欲ボケに対するアジテーターではないか、これでは。
これが本当に高齢者へ向けるファンタジーなのか。

息子が自慢できるような立派な男になり、
自分を超えていくことを自然な喜びとして
受け入れられないのだろうか、この人は。

それにこの作品のように、若い女が年老いた男を一目見て
性的魅力を感じるということはありえない。

年老いた人間というのはもっと素晴らしいものだし、
素晴らしいものにならなくてはならない。
セックスなんか若者にまかせておけばいいのだ。

何しろ最近の弘兼氏の作品はこんな調子で、
申し訳ないが老害傾向が著しい。
現代社会の匂いや風を捉えることができなくなっている。

島耕作とともにエグゼクティブになりすぎてしまったのだろう。
漫画は庶民のものなのに。

少し前の「取締役島耕作」で、
路上にタムロする日本の若者と勉強熱心な中国の若者を比べて、
島耕作が日本の未来を嘆く場面があった。
このことに私はとても腹が立った。

子供達をこういうふうにした弘兼達の世代、そして
まさに弘兼の描く企業社会の世界の責任のはずである。

大量生産、大量消費の文化を創り環境を破壊し、
学歴社会を増徴し、組織に埋没して
家族や自分自身を大切にしてこなかったつけを目の当たりにして、
この人は何を無責任なことをいうのだろう。

皮肉にも作品中で島耕作には一人娘がいる。
幼い頃から別居し、島は親らしいコミュニケーションを
ほとんどとっていない。

作品の中では立派な女性に成長し、父親との関係も上手くいっているが、
これはむしのいい話である。
絶対に十代で摂食障害になり、二十代で不倫をし、
よしんば結婚して子を設けても、子を愛すことなどできない。
そういう人生を送るはずだ。
この作品のなかで、ここだけ現代社会のもつリアリティに欠けている。

未来を担う世代に何の恨みがあるのか知らないけれど、
こんな作品は本当に「65歳未満禁止」の老害図書にして、
若者の目にふれないようにしてほしいものだ。

10代の若者が間違って読んで、未来に対する希望を失いかねない。


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