小学校六年の姪っ子が 修学旅行に行ったそうな
福岡県内の小学校における修学旅行の行き先最多は 今も昔も長崎
というわけでご多分に洩れず姪っ子も長崎です
最近は子供たちを班分けして 自分たちで路面電車などを利用して行き先を決めて自由行動をするのが主流だとか
なかなか楽しそうでいいなーと思うあたり
私が小学校の修学旅行に出かけたのなんてもう31年も昔な話ですが それでも初めての体験なので結構記憶に残っています
学校を出て数時間後 西海橋でバスを降りて一枚目の記念写真を撮ったとき 男子の誰かが熱を出してそのまま先生とタクシーに乗って帰宅
あまりにもかわいそうで みんなして激しく同情した覚えがありましたっけ 先生もせめて記念写真ぐらいと ここでの集合写真に無理やり彼を入れていたのがよけい虚しさをかもし出していました
ぐったりしてタクシーに乗せられていった彼を見送った後 西海橋を友達たちと見物していたら 当時このあたりは自殺の名所だったらしく 「はやまるな」みたいな立て札と、心もとないロープが張ってありましたっけ。 冗談で男子がロープの先に行こうとして 女子がキャーキャー騒いでいたような記憶が
・・・もちろん私は騒ぎませんよ
・・・落ちてみろとは思ったりしましたがね
ていうかなんで大人がここから飛び降りたくなるのか その心境が知りたくて下を覗き込みたくなる衝動にかられはしましたが 崖から落ちるのは痛かろうになんでまたそんな死に方をと 不思議でたまらなったように記憶している西海橋
それから長崎市に入って 平和公園に行きました 原爆資料館にも行きました ここでは泣き出す女子も結構いた記憶があります
私?
・・・泣くわけないし
それからグラバー園に行きました 石畳がハイカラでしたね
その後、雲仙に行きました 宿は雲仙の温泉宿でした ちょうど地獄めぐりの近所で 宿に入る前に地獄めぐりをさせられましたが ここでは前列の誰か数名が強烈な硫黄のにおいに耐えかねてリバースしたらしく 後続の私たちはそのゲロ溜まりを地雷でも避けるかの如く 恐れおののきながら必死で歩きました
なので地獄なんてほとんど見てません 地雷のある足下ばかり見てました
どこかの観光客がうまそうに温泉卵をむさぼっていました カップルでした みんなで冷やかしていました
温泉卵売りは老婆でした 地獄に老婆はよく似合うもんだと関心したりしました
宿はホテルというのは名ばかりの木造の旅館で 同日同時間に雲仙に来ていた他の小学校の団体は 隣のレンガ色した大きくて立派なホテルに 「よかろーがー、俺たちこっちぜー」 といいながら入っていったのには ちょっとしたジェラシーを感じたものでした
私たちのほうが明らかに都会でマンモス小学校だってのに 奴らは鉄筋コンクリートですよ
ほんの少しですが大人を信じられなくなった瞬間でしたね この差はなんなんだ 積立金に違いでもあるのか、と
食事は水炊きでした なんで水炊きなんだ それは博多の名物ではないか ここは雲仙だぞ 雲仙の食い物を食わすのがスジではないかと 言いたくなりましたが どいつもこいつも喜んで食っていたので黙りました 私はここで水炊きなど食ったら人生負けだと思い 水炊きは一口もくわずに飯と副菜のみ食って食事を終わらせました
風呂は軍隊のようでした 時間制限があってろくに温泉気分も味わえないのです マンモス学校の しかも一クラスが50人近くいるような しかもクラスが6組も7組もあるような学校です 軍隊で仕方ないんでしょうけれども
だったら隣のデカいホテルならもっと風呂も広かったろうに ここは近所の銭湯より狭いではないか しかも男子が女子風呂を覗いたとかで怒られてるし 見てどうするんだ少年共よ ロクに毛も生えてない女の裸なぞ
まあ 何が一番楽しかったって 寝るまでのおしゃべりが楽しかった修学旅行 先生が見回りに来る直前に布団かぶって寝たふりをするってのは いつの時代もおなじみなんでしょうか
翌日は雲仙からフェリーで熊本に行きました たしか水前寺公園と熊本城へ連行されたのです 水前寺公園ではみんなしてチーターチーターと大騒ぎ チーターんちの公園? チーターってすげー金持ち?
・・・子供はバカなのです
熊本城では歴史好きな男子がはしゃいでいたぐらいで その他大勢は黙々と階段を上っていったものでした ガイドさんがいろいろ説明してくれていましたが もう誰も聞くものなどいやしません
私もここでの思い出は 父が各地の名城の写真を大きな額縁に入れてずらりと飾っていたので きっとこの城もそのうちのひとつだろうなと思った程度です
あ 加藤清正 という名前をここで初めて脳にインプットしたことは特筆すべきでしょうか
また ガイドさんが加藤清正の名を出したとたんに クラスの加藤君のあだ名がキヨマサになったり おまえんちの爺ちゃんが建てた城っちゃないやー とか言って盛り上がっている男子らは やっぱり基本的に単純なんだと確信したものでしたね
これは ルーツ というドラマがテレビ放送された翌日から クラスで一番色黒の男子が 主人公クンタ・キンテにあやかり 「クンタ」というあだ名にされたという現象と同じようなものです
さて 熊本城からは高速道路でまっすぐ帰途に着いたと記憶します もちろんみんな爆睡です 私は眠れず起きていました ひとえに昨夜夕食をろくに食べていないので お腹が減っていただけだと思いますが
昔の修学旅行はとにかく 「連れていかれた」感10000%の旅でしたっけ だから今の子たちが自分らで旅行前から行き先を決めて地図を片手に路面電車で名所めぐりをするなんて うらやましいやら素晴らしいやら
姪っ子はこの旅行班のリーダーになったそうなので 出かける前日まで下調べをがんばっていたとか
昔より今のほうが 修学旅行らしいんだなと 関心しきりの四十路おばちゃんであります
姪っ子の土産話が楽しみです。
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