2007年02月17日(土) |
スケーターズワルツ。 |
過日、学校の課外授業でアイススケートの体験学習をしてきた息子は 以来「スケート連れていってよー!!!」と五月蠅いので 本日カーナビ様にお伺いをたてましたところ 我が家から15キロ先にスケート場有りとのお告げがあり。
てなわけで今日はスケートです。
私はしませんよ?だって四十路ですよ? 最後にスケート靴履いたのはいつだったろうかと記憶をさかのぼってはみましたが、さかのぼりすぎて前世までいっちゃうんじゃないかと思ったほどに遠い昔でしたよ。
今のお若い方はご存じないかもしれませんが、私が高校生の頃まで天神のど真ん中(現在のソラリアプラザビル)には福岡スポーツセンターという広い広いアイススケート場があったんでございますよ。横には洋画の再映専門映画館・センターシネマもありました。卓球場もあったなあ。このスポーツセンターでは大相撲九州場所も行われておりました。プロレスも来てたなあ。ナツカシス...
で、私がアイススケートに興じたのはこの福岡スポーツセンターが最初(小学生)であり最後(高校2〜3年生)なのでございます。今でもソラリアの前を歩くとセンターシネマやアイススケート場を懐かしく思い出す、どこまでいっても嗚呼、昭和の女な私。
ああ、あれから24年。 今では息子をスケート場に連れていくような歳になってしまいました。嬉々としてスケート靴を履き手袋とヘルメットを装着した彼をリンクに送り出し、私はぬくぬくとした部屋でコーヒーでも飲みながら眺めていました。
1時間くらいたった頃でしょうか。 戻ってきた息子が言いました。
「かーちゃんもすべってよ!!!」
あいたー やっぱりそーきましたか。
しばらく抵抗を試みましたが無駄でした。 なので覚悟をきめてスケート靴を
靴を。
...24.5が入らない私の足って一体。
(´Д⊂
気を取り直してスケート靴を
25.0の
あたしゃオカマかよ....
スケート靴を履いて、リンクに出ました。
えー 息子は3日ぶりのリンクでしょうが 母は24年ぶりです。
恐ろしいことです。
恐ろしいんですが息子の手前手すり磨いてる場合じゃありません。
周囲を見渡して上手な人の動きから学ぶことに致しました。 そーでしたそーでした 片足ずつ体重移動して進めばいいんですよ。
というわけで リンクに立って数分でなんとか滑ることができるようになりました。
と 私の後ろから 「待ってよー」 と 小走りに走ってくる子供がいます。
息子です。
息子は滑るというより走っています。 走って勢いつけて両足でつーっと滑るのです。
走らないでくださいよ、お客さん。
息子はとにかく走って両足滑りを続けるので、転倒もしばしば。壁際でないと一人で起きるのもままならないので、私はそれを起こすために彼の後ろをついて滑ることに致しました。
なかなか始めると面白いもんですよ。スケート。 リンクの真ん中あたりにはやたらに上手な人がスピンとかしてます。 恋人同士できているのに彼がオタオタしてて彼女がリードしていたり やたらと8の字だけを書きまくっているスノーボーダーみたいな風体のお兄ちゃんとか。
こんな光景をみているうち、私の頭の中には昔懐かし福岡スポーツセンターで繰り返し聞いたスケーターズワルツが響いてきます。 昔のスケート靴(貸靴)はすぐに足の先が冷たくなって長い時間滑っていると寒くてたまらなかったもんですが、今は素材が良いのかちっとも冷たくありません。氷面も昔のようにびちゃびちゃしていないので、転んでもすぐにはびしょびしょに服が濡れることもありません。ボイラーの前でかじかんだ手を何度も温めたり、濡れた服を乾かさなくても大丈夫です。
昭和レトロな私の思い出の中のスケートとは違い、今ではまったく快適になっていたことには心底驚きました。
すっかり滑ることにも慣れた頃 息子と私は リンクの外に懐かしいものを見つけました。 カップヌードルの自販機です。(写真とりわすれた)
昔と違うのは、プラスチックの透明フォークでなく、ワリバシが置いてあることでしょうか。
3時間滑り通しだった息子はさすがにお腹が減ったらしく この自販機をみるなり「ホットヌードル」をねだりました。
ほっとっと、ほっとっと、ホットヌードル〜。 マルチャンです。
たしかにホットヌードルしょうゆ味は旨いよね。 息子は立て続けに2杯も喰いました。 相変わらずよく喰う7歳児です。
その後、30分ほど滑って時刻は午後6時半に。 さー、そろそろ帰るよ。
それにしても息子。
途中で父ちゃんに電話して 「ボクねえ!スピンできるようになったよ!」と虚偽の報告をするのはよしなさい。キミがスピンといってるそれは、ただの「Uターン」ですからして。
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