といっても デ・シーカの涙腺ゆるゆる名作のことでなく
↑コレじゃなくてね。
現代版自己中連中共のやらかす自転車泥棒であります。
我が家の西側にはコミュニティ道路と称する歩道があり、両サイドに植え込みがあるんですが、今朝方、家の真横にある植え込みの中に一台の新品に近い自転車(いわゆるシティサイクル)が、施錠されないまま朝露に濡れて放置してあるのを見つけました。
場所が場所だけに???てな顔でもって私がこの自転車をみていると、ちょうど犬の散歩をされていた町内のおじいちゃんが通りかかって言いました。
「その自転車、昨日からそこに置いてあったよ」
!?
「まあ、ということはこれって盗難にあったものでしょうか?」
と私が言うと、おじいちゃん
「結構多いからねえ、自転車泥棒。若い子がしよるのやろうけどなあ。うちの孫もやられたよ。軽い気持ちでとっていくとやろうねえ」
自転車をよく見ると、防犯登録のシールが貼ってあります。 私はその場から携帯電話で警察に通報し、放置された場所と私の名前および連絡先、そして防犯登録の番号を告げたわけですが、それから数十分ののちに警察から電話があり、その自転車は元日に隣市で盗難にあったものと判明致しました。
被害にあった方は盗難届けを出していなかったものの、防犯登録をしていたので警察で持ち主の確認ができ、私の携帯番号を先様にお教えして我が家にて直接受け渡しをすることに相成り。
その日のうちに歩道にあった自転車を再度盗難に遭わないよう敷地内に運んでワイヤーでしっかりと施錠して保管し、後日無事に持ち主様にお引き渡しすることができたわけです。
被害にあった方も、正月そうそうこんなめにあって今年は幸先が悪いと悲観していた矢先だったので本当に嬉しいと喜んでくださったのには、私もほのぼのと嬉しくなったわけですが。
自転車泥棒くらいじゃ指紋もとらないし、盗られ損なのが世の現状ではありますが、盗られたほうは正直ヘコみます。 デ・シーカの映画のような重みはたしかに今の「自転車」にはありませんが、だけどその自転車にはそれぞれの思い入れがある場合もなきにしもあらずなわけで。
だけど本当に悪戯心や「カギがついてなかったからいいじゃん」みたいな考えでもって、平気で他人の物に手をだす人が多すぎる人間世界って、これって「仕方ない」で済ませていいもんなんでしょうかね。
子供に「やられたらやり返せ」と教えている人が多いと聞きます。 殴られたら殴り返せ、悪口言われたら言い返せなんて、呆れかえるほどに短絡的な思考を子供に植え付けて満足感に浸っている親がぞろぞろいる恐ろしさですよ。21世紀の世の中に。
そんな思考がしずかに雪だるま式にふくれあがっていくと、自転車を盗まれたからカギのついてない自転車を盗んでも良いだろうとか、傘を盗まれたから自分も傘を盗んでやろうとか、恐喝されたから自分も恐喝しまくってやろうとか、誰かの飼い犬飼い猫じゃないから殺しても良いだろうとか、ホームレスだからなぶり殺しにしても良いだろうとか、どうしようもない方向へと発展を遂げていくわけなんですよね。
自転車一台、盗んで放置したのは この閑静な住宅街の、外観は普通のご家庭の、普通の顔をした、どこかが少しばかり歪んだ人間。
自分の家に持ち込まずに近所に放置しているだけ、まだ「これが悪いことである」と自覚していることは間違いないわけで。
だからよけいに家族はこの人の性癖や素行を知らずにいるんですね。
・・・家族を手抜きするのやめましょうよ、ほんとに。社会の迷惑ですって。
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