青空たかし 三木武夫。
・・・意味不明で申し訳ありません。切腹。
最近私、「葉隠」に凝っています。ええ、佐賀県民ですからして。
さて 「葉隠」とはなんぞや? 拙者、はがくれの天ぷらうっど〜んでござる!のアレとは違いますよ。←甚だしくローカル はがくれの天ぷらうどん、けっこー美味しかったんだけどなあ...また食べたいものです。惜しい会社を無くしました。
それはともかく
「葉隠」は江戸中期、佐賀藩の元御側役・山本常朝が口述したものを、後輩の田代陣基が著したもので、武士道の聖典とも言われるものであります。
武士道の聖典と言われる一方で、その内容をじっくりと読んでいくと、結構これが私好みというか物騒というか時に過激というか、なかなか読み物としても面白いのであります。
平成元禄。 時代はすっかり平和ボケして上を望む気力を失った努力嫌いの愚か者共が、お上にもの申しても何一つ代わり映えのしない虚しい世の中に対するストレスを、クラス内や社内はたまた家庭内で標的を物色し、己よりも弱しと思うものに対するいじめやからかいといったうっぷん晴らしにて、ささやかな刺激や優越感を感じるしか術がなくなっているわけなのでありまして。
そこへ葉隠の激しさが必要になってくるわけですな。
「人よりなぶられて、だまりて居る時はすくたれなり。殿中とて場をのがすはずなく候。人をなぶるものはたわけ者なり、切られ損」
殿中で自分をからかったヤツを切り捨てた者に対し、殿中で刃傷は切腹というのが基本であるにもかかわらず、殿様は「人にからかわれて黙っとーとは意気地なしばい。殿中だけんいうてそのまま聞き流してなーいけんばい。人ばひやかすほうがバカばい。切られ損ばいよ」と、佐賀弁チックに言ったかどうかは定かではないが、そげんことを言うたらしいばい。慣れん佐賀弁でまいっとるとばい。
で、最近流行りの首くくりの件。
遺書書いて首くくること決意したまではいいですよ。決死の覚悟での自己アピールだろうことは想像つくし同情も致します。
でもですね 知ってます? 死んで楽になるとおもったら大間違いですよ。
後悔するんですよ。絶命間際に。 頭が爆発しそうな苦しみの中で原因となった出来事や人物を烈火の如く恨むんですよ。 家族も苦しみますよ。その括られた首同様にいつまでも。
死ぬ寸前の感情がそんな苦しみと恨みの泥沼状態で 死んだ後に楽になると思えますか?
これってずーっと続くかもしれないって思いませんか?
私だったらいつまでも引きずるでしょうね。八ッ墓村も真っ青ですよ。 恨みに恨んだ命のままで1000年でも漂うでしょう。しつこいから。ええ。
想像しただけで横溝正史です。
で 最近マスコミが騒いでるテーマ。 「果たしていじめは無くなるのか?」
答えはNO
なんでかって 人間だもの。
どげな世の中になっても、いじめはなくなるもんやない。 いい人だらけの世界が存在するわけがない。 あきらめてください。これが現実だし。
でも どげな境遇にあっても、努力次第で生き抜くことはできる。 なんでかって 人間だもの。
いじめはやめようと、いくら大々的なキャンペーンやったって いじめる人の心は変わらんし 祈るだけじゃ奇跡はおきん。
世間を、人を変えることが無理なら 自分を変えるしか、自分で乗り越えるしか術はなく。
弱い者を集団でいじめたり暴力をふるって喜ぶ人間の末路と その境遇を生き抜き、切り抜けることで強く賢くなった人間の未来の違いを証明できるのは いじめられた人だけができること。
いじめ上等。なんぼのもんじゃい。
10年先、20年先を見据えて毅然と生きる。 葉隠武士の精神で 死ぬ気で生きろってもんですよ。
それができない弱い人の気持ちも考えて!なんてきれいごとが誰に通用する? あなたのように人は強くなれないのよ!なんて言葉で乗り越えられるか?
悔しかったら毅然と生きろ。 死んでマスコミが騒ぐのは次の大ニュースが来るまでのことたい。
耐えて燃えろ。 by.ラッシャー木村
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