Dynamite徒然草
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2006年10月08日(日) 心の年収。

お茶の水博士...いやもとい
お茶の水女子大の某教授様が
算数の学力テストの結果と保護者の所得を比べたそうでございます。

その結果
年収が高くなるほどテストの点も高く
学習時間も長いとの結果が出たとのことですが

何を今更。
そりゃあ人類の歴史始まってからこっち
多少の例外を除けば至極当然なことだったのではございませんでしょうか
と思ったりしたのは
私だけなんでしょうか。


武士や貴族しか学問の機会が得られなくて当然の社会だったのが、戦後いきなり教育基本法に基づき教育機会を均等に与えてもらった程度の我が国日本であります。

人は生まれながらにして「知る」ことを欲した生き物であるが故、ひとたび知識の扉を開くとそれを探求したいという性質を持っており、それを育むためのベースとして重要なのが家庭環境であり、このベースとなる環境、つまり学習環境を整えるために必要になってくるのが親の知識と幾ばくかの資金なのであります。


いや、貧乏人からだって有名な人や知識人、金持ちは出てきたじゃないか。一概にそうは言えんと言う人もいるでしょうが、それは「金」がベースになかっただけであって、「環境」や「知識」はたまた「良き出会い」という縁や人脈があったわけです。もちろんこれを動かしたり近寄せたりするだけのその人がもつ激しく強固な意志やパワー、つまり向上心という原動力も見逃せません。


でも全ての人がこの激しい出世欲や強固な意志、成し遂げようとするパワーを備え持っているわけではないわけで。



やはり子供たちの学力は昔も今もお茶の水の某教授の調査結果のとおりというわけです。


学力格差は最近世間でも騒がれてるように、今後ますます年収の格差に比例して広がっていくものと思われます。たとえ文部科学省がテコいれしたって何をしたって、あまり学力格差の広がりに歯止めをかけることはできないと思います。

そこで
私の本日の視点・論点・多事争論。


学力格差を家庭の年収だけでなく
もうひとつ踏み込んで考えたいと思います。


家庭内における「家族の心の年収」はどうでしょうか。


両親(または家族)の仲が良い家庭と、そうでない家庭の学力および精神安定度や社会性の発達度というのは、私は非常に気になります。
心の年収と私が言うのは、子供だけに限らず家族全員のスキンシップやコミュニケーションの深さ(←親の身勝手な過干渉は論外)、安定感、満足感といったものです。

ここでないがしろにされがちなのは父親でしょうが、父親の満足度ももちろん高くなければ話になりません。稼ぎ手の心がすさんでたら何のための人生かと思い悩んで人生はかなんでヤバいです。女つくったり酒飲んだり連れて歩きたくない男に成り下がります。男は女より繊細でか弱いのですから優しくしましょう。私も頑張ってます。ええ。ときどき優しく叱ったりするのもいいでしょう。男は結構優しく叱られたい生き物なのです。ええ。


それはともかく。

何も学力は年収で買えるものではない。
というのが、金かけて子供教育してきた私の結論です。

探求心と惜しまぬ労力。役割分担のしっかりできた家族という集団の連帯感。

家庭の年収が高くても心の年収が低ければ、たとえ学力は高くともいつしか歪みがでてガラガラと崩落する危険もあり、家庭の年収が低くても心の年収が高ければ、知ることを欲して努力し始めたとき、歪みは少なく安定して結果を出していけるのではないかなと思った次第。

心の年収は金がなくとも個々の努力によって高めることは可能であります。

とは言え
金はない、家族の心の年収も高める気がないとなれば、あとは神の登場を待つしかありません。または気付いた人がこの家族からしずしずと離脱するが得策でしょう。


てなわけで←どんなわけだ
要はバランスではないかと思ったりなんかするわけですが
どうですかお客さん。


とはいえ
努力嫌いな人々が増えつつある日本なのでこれまた所得のみならず心の格差もますます広がりまくりなのかもしれませんですが、はてさてどーなる日本。


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書いてる人 : Dynamiteおかん