齢68歳の母が 歳に似合わぬ病名「子宮筋腫」にて先月7日に入院、翌週15日手術となり 同月25日に無事退院と相成り。
突然の大出血から始まったこの一件も、終わってみれば別段主治医が「お母さまには子宮筋腫ということで話をすすめておりますので...」と、深刻な顔で別の病名を宣告されるようなドラマチックな展開となることもなく、まさに人間万事塞翁が丙午←ちょっと違う、吉凶とは予測のつかないものだなとつくづく思うわけでございます。
で 退院はしたものの、やはり割腹した母でございます。 いたたたたたた・・・と腹を押さえて歩く姿は痛々しく 痛々しいと思いつつも「医者はどんどん動けって言ったんだから」と 無理矢理ドライブに連れ出し公園を歩き回らせたりなんかしている私は 本当の娘なのだろうかどうだろうかと真剣に悩んでいるのは母本人でありましょうか。
いや、動かないとまた癒着しちゃったりなんかするわけですよ。 だからいたたたいたたた言ってないで動いてくださいよ奥さんという感じなわけですよ。
私も鬼じゃありませんて←ぁゃιぃ
で 母が退院してから一週間ばかり過ぎたわけであります。
そんなこんなな顛末があり しみじみと我が夫が言いましたね。
「お前もそろそろ乳ガンとか子宮ガンの検査とかいろいろ受けとったほうがいいっちゃないとか」
たしかに子宮系のチェックはそろそろ受けたほうがいいかなとは思っていた矢先ですが。
乳ねえ・・・ 乳はあんましいい思い出ないんですよ。
私はうら若き処女の頃(若干20歳)「乳腺線維線腫(にゅうせんせんいせんしゅ)」←早口言葉かよの手術を受けた過去がありまして、直径3センチはあろうかというその腫瘍は良性とは言えども診察には激しく屈辱的な場所にあり、日帰り手術での摘出術に挑むことになったわけでありますが、まーそれはそれは当時の私には苦痛な診察および手術と予後でありまして、処女心にはそーとーなダメージを受けた嫌な出来事だったのでございます。
もちろん手術そのものには満足しておりますよ。5センチ近くある傷もいたって綺麗だし。
でも、やはり乙女心は深く深く傷ついたものでした。
ああ、あれから20年。 当時の乙女も今はサイズ倍増どすこい四十路。 体重までも当時より25キロ増です。げんなりです。あの頃の私は誰だったの?状態です。
ですがやはり微妙に乳の検査だけはいまだにトラウマってます。 医師とは言えども見知らぬ男に乳をいじくられたり、なでまわされたり、事務的に板に挟まれるのはほとほと堪忍です。カーテンの向こうの男性婦人科医様の眼前に股おっぴろげるほうがぜんぜんマシです。平気です。なんでもこいです。
さて それを踏まえて、アンサー。
「・・・私が医者からこの乳もみしだかれまくってもいいってわけね(´Д⊂」
慌てたのは夫ですよ。
「じょっじょっじょっじょっ、女医探すけんそれまで待っとけ!」
むふふん。
君の愛らしさに乾杯。
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