最近息子がハマッているもの。
ランドセル(学習ソフト)であります。
始めに小学三年生のソフトを与えてみたところ なかなか面白かったらしく 特に社会の「昔の暮らし」に興味を持った感じでした。
筆算もゲーム感覚ででき 地図記号もなかなか楽しそうであります。
でも英語はレベルが低いので論外。
子供向けの英語学習ソフトの良いのがあればなーと 思ったりする昨今であります。
小学三年で楽しそうだったので とりあえず入学前に二年、四年と揃えておこうかなと思った次第。
ところで この学習ソフトを見てて思ったんですが 昔の教科書と比較すると 特にいまの小学校三年生あたりまでの教科書って 実にレベルが....ってなところまで落ちてるなと つくづく感じるわけでして。
で、週休二日なわけですよね。
たしかに「ゆとり」だなと感じます。ええ。
で この「ゆとり」教育が目指すものって 一体なんなんだろうと ふと思うわけですよ。
このゆとりっぷりを真に受けていたら はっきりいって高校受験に直面したとき 自分の人生の選択肢が恐ろしく狭くなってる現実に気付くんじゃないだろかなどと 老婆心っちゃったりするわけですよ。
気付いたときは時既に遅し。 夢を抱いても夢に届くまでのステップさえ 既に上れないレベルに落ちてるのが現実だったりとか。
だからといって 別にみんながみんな 高額な塾にたたき込んで夜まで勉強させたほうがいいとは言いませんが なんていいますか
せっかくの「ゆとり」なわけだから 教科書のレベルが低いぶん 家庭で本人が(もちろん親の導きもありで) 主体性をもって自らの個性を存分に伸長させる学習を積むこともでき そこに真の意味での「ゆとり教育」の意義が生まれるんじゃないかと思うんですよ。
どうも 「ゆとり」=「遊び」と はき違えてる親ってのが多いのかなと そんなことを感じたりもいたします。
ゆとりがあってこその家庭学習だと思うんですが ゆとりがあるとレジャーに走るような家庭が多いのかな、とか。
もちろん 勉強ができるから偉い偉くないというランク付けはできませんが 勉強ができなくて得することなんて 正直いって何一つないわけですから
基礎の基礎をつくる大切な小学生の時期こそ 遊びも友達も大事だけど それと同じくらい勉強も大事だということを ごく自然に親が理解させてあげて欲しいなと
ゆとりがありすぎる現在の教科書に驚きつつ そんなことを感じたりした弥生3月であります。
|