昨年の冬からこっち 息子の幼稚園送り迎え手段が すっかり車に戻ってしまっている三十路であります。
冬にチャリは寒いっつーの。 私は耐え難きは耐えられないし 忍び難きは忍んでられない体質なのであります。
てなわけですっかり車登園に逆戻りなのでありますが 今朝、いつものように住宅街の狭い路地をぶいーっと走っておりましたら 前方左側にヨロヨロ自転車爺を発見いたしました。
幼稚園へ急ぎたい気持ちは山々ですが 余命幾ばくもない爺を自転車ごと跳ねとばして←勝手に余命を決めるな。 私のこれから長く続くであろう人生を棒に振りたかないので ここは爺をやり過ごせる処まで ノロノロヨロヨロ運転に付き合う覚悟を決めました。
すると交差点の手前 ヨロヨロ自転車爺は私の車に気付き ひょこっと頭を下げると 右手をまっすぐ水平にのばして 右折していくではありませんか。
おお!!! 懐かしの手信号!!!
ヨロヨロ自転車爺だとばかり思っていたのに そのおじいさまってば←呼び方激変 後続の私に対して手信号を出すお気遣いをなさったうえに 左手一本で右折がついーっとできる あざやかな運転技術の持ち主であられたわけであります。
感動です。伴宙太です。
自転車にもミラーとウインカーつけるのを義務づけて欲しいなあと 以前からマジで思っていた私は ご老人の手信号で なんともいえない心地よさを感じたわけであります。
手信号と言えば たしか 「小説家を見つけたら(FINDING FORRESTER)」のラスト近くで 主人公のショーン・コネリーが自転車で町を走りながら 手信号を出すシーンがあるんだけど
なんかそれを見た瞬間と このヨロヨロ手信号爺が オーバーラップしたわけです。←ショーン・コネリーには失礼な話。
今じゃ年寄りしか覚えてないだろうこの動作を 他の人のために後続車のために 自然とやってくれる心配りってのが 新鮮に感じてしまうほど
私はどっぷり自己中に生きてるんだなと 気付かされてしまったわけです。
手信号ひとつ。 気遣いひとつ。
・・・年寄りは大切にしよう。
・・・感じのいい年寄りは。←こら
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