開催直前に、随分味噌が付いたものである。 五輪開会式に関わった2人の芸能人、小山田圭吾と小林賢太郎について書いておこうと思う。 因みに私はどちらも存じ上げない。 けど一応コーネリアスの音楽はむかーしラジオで耳にした事がある。 そして数年前に子守の手伝いに行っていた時、甥っ子と一緒にテレビの前でピタゴラスイッチ待機中に「デザインあ」のクレジットを見て、この番組で流れているのがコーネリアスの音楽なのだと知り、そう言えばそんな雰囲気だなと思った程度である。 今回の報道が出るまでは、この人がコーネリアスのメンバーだった事も、その鬼畜の所業についても全く知らなかった。 一方の小林賢太郎という人については、問題のコントを発表したお笑いコンビ「ラーメンズ」の存在すら知らなかった。 ネット検索して、元相方には見覚えがあった。大人のピタゴラスイッチに出ていた人だ。 なるほど、教育テレビにも食い込んでいるようなネットワークがあって、そこから開会式に呼ばれた人々なのかなと何となく推測した。 さてこの2人、どちらも過去の問題行動が明らかになって五輪の担当から外された訳だが、辞任と解任、そして決定までの期間を考えると、その対応の差に物凄く違和感を覚える。 しでかした事の酷さを比較すると、小山田の方が問題としては大きいと思うのだ。なのに解任ではなく辞任。しかも五輪委員会は擁護、続投させる事を一度は表明している。 一方の小林に対しては、ホロコーストネタはユダヤ絡みだからなのか、同じ五輪委員会の判断とは思えないほど、対応が迅速であった。しかも解任、クビである。 イスラムとユダヤは世界的にアンタッチャブルだからな……そらそうなるわなとは思ったが、本人の謝罪コメントは小山田のそれとは違って、物凄くしっかりしていて、少なくとも私は読んで納得出来るものであった。
因みに私は、作品と人格は切り離して考えるべきだと思っている。 作者がクズの詐欺師だったとしても、「一杯のかけそば」に涙した人は多かった。 グレインジャーがSM好きの変態だとしても、「リンカンシャーの花束」が名曲である事は変わらない。 セクハラ大魔王だとしても、デュトワの作る音楽は素晴らしい。 作品は、背後の物語ではなく、作品自体で評価されるべきである。
しかし若気の至りだとしても、何十年も昔の話が甦って、現在の自分の足を引っ張るなんて、恐ろしい事である。 私は人前に出ないように、目立たぬように生きて行こうと思ったのであった。
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