天上天下唯我独尊

2011年07月11日(月) あの日から4箇月

最近また地震が多い。
ビクビクドキドキしながら過ごしているが、あの震災が起きたのがあの日あの時間で良かったと改めて思う。
あれが午前中で、洗濯物が泡ぶくぶくで洗濯機の中で回っている最中に止まらなくて良かった。後始末を考えただけで泣けて来る。
そして夏場じゃなくて良かった。
このクソ暑いのに冷蔵庫とクーラーが止まったら……と考えるだけでも恐ろしい。
今停電したら、買い込んだガリガリ君とハーゲンを、融ける前に食べてしまわなければならない。
でも一気に全部食べたらお腹壊すだろうな。嗚呼ジレンマ。

被災県の内陸部に住む知人は、津波こそ無かったものの、地震で自宅マンションが傾いたらしい。
それでも半壊扱いなんだって。でもどうやって直すん……建て替えしか無いのでは。
特にマンションだと、何をするにしても住民の「総意」が必要だ。たった1人でも反対すれば通らない。多数決ではないのだ。
それを考えると、やはりマンションは宜しくないのか……と考えてしまう。

震災で、仙台のホールの天井が落ちたとか。
落ちる筈が無いのに何故落ちたんだと調べたら、実は姉歯物件だったらしい。
社名が違っていて判らなかったんだとか。
姉歯は死刑でいいよもう。市中引き回しの上、打ち首獄門で。
悪い事するとこうなりますよという見本は教育的に必要だと思う。
悪い事してもごめんなさいすれば許して貰えるというのは良くない。
だから市橋も死刑でいいよ。無理矢理オカマに掘られて死ね。


「死ね」で終わるのもアレなので、思い出した4箇月前の避難所零れ話。
災害時は公民館とか学校が避難所になる訳だが、高専はなかなか良いらしい。
すぐに発電機が登場したり、衛星回線が使えるんじゃないかと先生と学生がアンテナ持って来て繋げ始めたり、学生が毎日学校の備品のガイガー・カウンターで「本日の放射線量」を発表したりと、普通の避難所では見られない光景が繰り広げられていたらしい。
話を聞いて、なかなか楽しそうだと思ってしまった。
中心部の市民会館は豚混みだったらしいが、私がお世話になった避難所は、地区の外れなので空いていた。
実家や友人が「シオンが避難所生活なんて耐えられるんだろうか」と酷く心配したのは、TVなどで過酷な避難所体験報道を聞いたからだと、後で知った。
おにぎり1個/家族とか、毛布1枚/3人とか。
前述の通り私が避難した所は空いていたので、食料も豊富だったし、毛布も1人3枚ぐらい貰えた。
かように当たり外れがあるので、避難所選びは重要だと思う。

そういや、供出したカセットボンベ、返して貰っていない……まあいいか、新しいの買ったし。
カセットボンベと言えば、オバサン受けの良いうちの主人が避難所で、何やらどこかのオバサンが楽しそうに主人にボディタッチしていたので、後で訊いたところ、
「いや、あのオバサンが『これってこのお値段なの? 安いわね!』って、カセット焜炉の横の数字を指して訊いて来たんだよ。『いいえ、それは焜炉の品番で、値段ではないと思いますよ』って答えたら、『あら〜違ったの〜アハハハ』って。普通こんな所で商売する訳ねーだろーがよ、少しは考えろよ……」
という話だったようである。
オバサン、焜炉欲しかったのかな。


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