1956年の日活映画。 長門裕之追悼スペシャルとしてわうわうで放送されていたので、取り敢えず録画してみた。
小説家・石原慎太郎のデビュー作だとか、その弟の役者デビュー作だとか、こないだ死んだ長門裕之と南田洋子が結婚する契機になった映画だとか、その程度の予備知識はあったのだが、有名な割には読んだ事も無ければ観た事も無い、粗筋すら知らないと来たもんだ。 上映時間も1時間半と、最近の2時間超えの大作に比べればお手軽だし、軽い気持ちで観てみたのだが。 つ、つまんね……途中で止めて消去しようと何度思った事か。 当時はこの程度でも役者になれたんだなあとか、この程度でも世の中を席捲する流行の最先端だったんだなあとか、今の時代の何と贅沢な事かと思い知ったのだった。 兎に角、役者の台詞が速い。 特にヒロインのお友達が酷い。ちっとも聞き取れない。 速さのせいで台詞が上滑りするんで、長門さんなんか主役の癖に物凄い大根に見える。まあ当時は駆け出しの大根だったんだろうけれど。 それに引き換え、ヒロイン英子役の南田さんは、ちゃんと演技していたと思う。 ただお肌は荒れていたような。白黒だから目立たないけれど。
肝心のストーリーはクソだった。 親の金でプラプラ遊んでいる若者達が、やりまくって子供が出来ちゃって、堕胎に失敗して女が死んじゃう、みたいな。 男の方は葬式に駆けつけたものの、遺影に物をぶつけてぶっ壊しといて、 「あんた達は何もわかっちゃいないんだ!」 って、遺族のみならず観ているこっちもさっぱりわかりませんが。 原作を読んでいないから原作の批判は出来ないが、これは脚本が悪いのかね。 監督は明らかに悪いけれど。 ちっとも理論的じゃないし、かと言って感情的にも理解出来なかった。 明らかに男目線な話で、石原作品と知らずとも、これ作った奴は男だろとすぐ判るものだった。 女の方はクールな美人なのに、なんであんな子供っぽいのに惚れちゃうのか、全くワカラン話だった。 南田さんはこの映画で呪いにかけられたのかな……映画同様、長門さんに振り回される人生だったし。 一寸気の毒に思った。
そんな超絶つまらない映画を何故最後まで観通したのかと言えば、当然噂の障子プスプスシーンを見たかったからだ。 それだけを楽しみに観たのに、最後までそれは出て来なかった。 「何なのよー、騙されたー!」 とエンディングで絶叫する私に、あーハイハイいつもの事かとスルーする主人。 ネットで調べたところ、流石にそれは映像化出来なかったそうで、映画ではカットされたらしい。 最初からカットを知ってりゃくだらない映画で時間を浪費する事も無かったのに……と悔やまれた。 下調べも時には必要だね!
因みにプスプスするのは当時まだスリムだったデブ次郎ではなく、主人公だったようで。 私はてっきりデブ次郎が主人公かつプスプスするのかと思っていたよ。
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