天上天下唯我独尊

2011年04月04日(月) 最後のお別れ

津波の犠牲になったお稽古仲間の葬儀に参列した。
気取ったところが無く、また邪気の無い人だった。
親に大事にされて、ちゃんとした教育を受けて、結婚してからは夫君に大事にされ、子供を大事に育てた人なのだと思う。
子供達が巣立ってからは、社会のために勉強して働くという、明るく活動的な人だった。
全く違うタイプの人間である私にも、裏表無く、優しく接してくれた。
そんな彼女には当然友人が多く、親戚やご主人の仕事関係者だけでなく、大勢が参列し、とても立派な葬儀が行われた。

何人かが弔辞を読み上げたが、1番上手だったのは、古くからの友達だという学校の先生。
文章もしっかりしていて、音読も素晴らしく、聞く者は皆感動した。
担当は国語科と聞いて、更に納得。
学校での勉強は大人になったら役に立たない、などとほざく人が時々いるが、そんな事は決してない。
母国語でちゃんと作文する事は、こういう時に役立つ。
特に義務教育で習う事は、大人になっても大切な基礎なのだ。
大人になって、恥をかかぬために、ちゃんと身につけておかなければならない。
次の人の貧相な弔辞を聞いて、私はそう感じた。

学校の先生の弔辞は非の打ち所が無かったが、その他の弔辞を聞きながら、
「下手糞だなあ」
「イントネーションがおかし過ぎるだろ。どこの人だよ全く」
などと、私は密かに突っ込みを入れていた。
葬儀が始まるまでは故人と無関係な話でひそひそと談笑していたのに、いきなり弔辞で感動して歔く一般席の人々にも、なんだかなあと思った。
そんな私に対しても、彼女なら
「やだもう、春さんたら」
と笑ってくれるだろう。
そんな人だった。

ちゃんとお別れを言えたし、ご家族にも挨拶出来たし、行って良かった。
葬式は、死者のためと言うより、生者のための儀式であると言われるのが、わかった気がした。

会場を後にして、ひとりになってから初めて、彼女のために泣いた。


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