天上天下唯我独尊

2011年03月27日(日) 弱い行政

津波の被災者達は、本当にあの場所で生活を再開させたいのだろうか。
TVで見たアンケート結果によると、YES;またここで暮らしたいという人が8割、NO;もうこんな所嫌だという人が2割、そして全体の半数が「ここにいたいけれどもう無理だろうな」も含めて引っ越したいんだそうで。
でも、人の移動は遅々として進まない。
宿泊施設として内陸部の温泉地に被災者を受け入れるという案は、実行されているのに、行く人は少ないという。
1日中避難所で眠っているジジババなんてどうせ邪魔なんだから、さっさと集団で温泉地に移動すればいいのに、何故か動かない。
それは、田舎特有の「皆と違う事をしたら村八分にされる」という恐怖があるかららしい。
正直、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
行政も、いちいち避難民のお伺いなんて立てなくていいから、さっさと強制移動させればいいのに。

もうひとつもどかしいのは、「思い出の品」というやつ。
瓦礫の中から自衛隊員達がアルバムやら位牌やらを拾っているのだとか。
それは死体探しの序でなのかも知れないが、ごみ拾いは自衛隊の仕事じゃないでしょ。
(そもそも死体探しも自衛隊の仕事ではないのだが、本来それをやるべき地元の警察官も流されちゃって人手が足りないらしい)
「住民の思い出の品を、一律ごみとして処理してしまっていいものか」という思い遣りから出た話らしいが、そんな事やっている場合かよ。
行政も保管場所や方法などで、その処理に困っているらしい。
貴重品以外は全部ごみ扱いで、さっさと瓦礫の処理をしないと、復興なんて無理無理。
どうしてもと言うなら、避難所にいて動ける人達が自力で思い出探しをすればいいのだろうが、瓦礫の中の死後何日も経った死体とコンニチハする覚悟があるか、あっても心の傷とやらになる虞があるから、これはお勧め出来ない。
(というか自衛隊員達の心の傷も心配。まあそんなもんは自力で日薬で治すしかないのだが)
滅茶苦茶に破壊された家の片付けをしながら、思い出の品を片手に談笑するジジババを見て、せっかちな私はどうにも苛々したのだった。
住民達が復興を望むなら、この際個人の感情は排除して、行政が強権を発動して、もっと合理的に手早くやらないと。
尤も、あの場所が再び津波に呑まれない保障は全く無いのだけれど。

嗚呼でも私が主人と死に別れて、死体も上がらなくて、しょっちゅう外している結婚指輪も全部津波に呑まれて何にも無くなったら、流石に泣くかも。
指が痒くても、指輪はしておこうと思った。
11日の地震の時も、指輪外しっ放しだったんだよな。帰宅して流し脇の小物入れの中にあるのを見付けて、そういや外してたんだっけと思い出した次第。
大事な物は肌身離しちゃいけないね。


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