| 2011年03月21日(月) |
地震2日目以降、まとめ |
電気の消えた町は寂しかったが、駐車場で車から降りると、夜空の星が綺麗に見えた。 眼鏡じゃなくてコンタクトだったら、もっと沢山見えただろうなと思いながら、お隣さんと一緒に徒歩で避難所に向かった。 避難所では、新しい毛布をひとり3枚も支給された。 人が多くて物が行き渡らなかった避難所もあったらしいが、私が行った所は比較的被害も少なく、従って避難民も少なかったようだ。 そこから実家と友人に「今、避難所。今日はここに泊まります」とメールを打ったら、彼らは酷く心配したらしい。 「あのシオンに、汚くて過酷な避難所生活が耐えられるんだろうか」と。 そこまで心配される私って……。
寒かったけれど、主人と一緒なので安心出来た。 お昼から何も食べていないのに、何故かちっとも空腹を感じない。 それでも食べとけと主人が言うので、主人のカレーライスを少し貰った。 緊張のためか頭痛がしたので、市販の鎮痛剤を飲んだ。 ストーブの周りには人が集まっていたので、少し離れた所で主人と毛布に包って横になり、1時間だけ眠る事が出来た。 一度大きな余震で起こされたら、後は寒くて寝付けなかった。余震でびくびくしてしまうし。 なので起きて、後から運び込まれたストーブの前に主人と座っていた。 発電機も来ていたので、携帯を充電させて貰う。自宅の電気が駄目だったので、その後も充電しに度々避難所に通う事になる。 長い夜が明けて、朝になった。こんなに早起きするのは久し振りだ。 隣の子供は、7時半きっかりに目覚めていた。 お隣さん曰く、普段通りの時間に寝て起きたとか。寝付きも良かったし、夜泣きもしなかった。 避難所でもずっといい子にしていた。歯磨きの時だけ暴れて泣いていたけれど(笑)。 主人はそのまま仕事だと言うので、お隣さんと一旦帰宅する事にした。
家の中は避難所より暖かかった。 しかしする事が無い。 散らかってはいるが、元に戻したら余震で木阿弥の予感だし、地震前に掃除してその後すぐ家を出たので床は綺麗。 家計簿整理の続きをしようにも、停電でPCが使えない。 TVもミシンもだ。 水道とガスは大丈夫だったので、取り敢えずお湯を沸かして、お茶にした。 お湯は沸かせるのだ。それならと、明るいうちに洗髪をした。 本でも読もうかと思ったが、読み始めると没頭してしまうタイプなので、余震が来た時に危ない。 なので通販のカタログを眺めていた。見終わったら紐で纏めて、次の資源ごみに出せるようにした。
夕方、主人が帰って来た。 玄関脇に積み上げていた夏用タイヤが崩れているのを指摘されたので、 「だってどうせ余震が来たらまた崩れるんだし、無駄じゃん」 と言ったら、脱力された。 「いや、あれは見た人が凄く空しいというか、嫌な印象を受けるからさ……」 と、自発的に積み直してくれた。 ガスは来ているが電気が無いとお風呂が沸かせないので、台所で沸かしたお湯でタオルを絞り、それで体を拭いて貰った。 主人がどこからか蝋燭を貰って来てくれたので、その明かりを頼りに、夕食は冷蔵庫の中から、1番早く悪くなりそうなものから食べた。 ご飯は鍋で炊いておいた。主人は電気炊飯器で炊いたものより美味しいと言う。 でも火加減が一寸面倒なので、今のうちしか作ってあげない。 避難所で朝、また主人のカレーを少し口にしただけで昼は食べていなかったので、すぐにお腹一杯になってしまった。 空腹中枢がいかれたようで、全く食欲が湧かないのだ。 主人は心配してもっと食べろと言うが、本当に食べたくないんだってば……。 その夜は一緒に布団で眠った。 「静かだね。電車の音がしない」 そう言われて、初めて気が付いた。そういや電車も止まっているんだっけ。 「電気の音がしないから凄く楽だ。信号の変わる音もしない」 ……この人は以前も雪の降り積もる音が聞こえると言っていたが、信号が赤から青に変わる音まで判るのか。 睡眠不足のせいか、主人と自分の布団で安心したせいか、前の晩とは打って変わって、ぐっすり眠れた。
地震3日目は夕方からの勤務だというので、台所で沸かしたお湯を風呂場に持って行き、主人の洗髪を手伝った。 お湯をケチったらぬる過ぎたようで、悲鳴を上げていた。スマン。 天気が良いので、部屋の中は昼間は暖かい。 主人が片付けようと言うので、2人で部屋の片付けをしたら、かなりすっきりした。 夕方、主人は仕事に出掛けて行った。私は1人で夜を過ごす事になる。 食欲も戻って来たので、ちゃんと食べた。 暗くなったので布団に入った。しかし寝付けない。 余震や自分の脈の音にびくついて、よく眠れなかった。
4日目、地震後初めて、町に出てみた。 顔を洗うのも面倒だし、今日も家にいようかなと思ったのだが、散歩がてら見に行こうかと思ったのだ。 顔を洗って外に出ると、窓が割れ、看板は落ち、壁には罅が入り、塀が崩れ落ち、余所ではこんなに被害があったのかと驚いた。 外出する事はあっても、避難所との往復だけだったため、日の光の下で町の様子をはっきりと見た事が無かったのだ。 ふらふら歩いて行くと、青果店が開いていた。 大好きなせとかと苺と加糖練乳を買った。 生活必需品ではないが、お金は生きている間しか使えないのだ。先の大地震でそう思った。 今度はコンビニで、野菜ジュースとチョコをじゃがりこを買った。 カップ麺の棚は空っぽだった。皆そんなにカップ麺好きなのか。 お湯が沸かせるなら、カップ麺よりご飯の方がいいと思う。こんな時にジャンクフードばかり食べていたら、健康に悪いし、ただでさえ苛々しているのに益々苛々しそう。 夕方には主人が帰って来たので、2人で晩御飯を食べた。 冷蔵庫には、もう調味料ぐらいしか残っていない。明日は買い出しに行こう。 布団に入って暫くすると、電気が点いた。 一瞬で消えたが、電気の復旧が近いのだ。 明日には戻るかな、と思うとわくわくした。 もうすぐ電気と共に日常が戻るのだ。 嬉しい気持ちで眠りに就いた。
しかし22時頃起こされた。義父からの電話で(怒)。 無事だって人伝で言ったろうが、こっちは20時には寝てたんだよ、そっちは電気もすぐについたんだろうが、通常営業気分でこんな時間に寄越すなー! と腹が立ったら眠れなくなった。くそう、義父め……! お蔭で日の出と共に早起きする夢がぶち壊しだよ。
結局電気が復旧したのは、日が高くなってからだったんだけれどさ。 そして私の中では、ほぼ普通の生活に戻った。 スーパーではあれもこれも手に入らないみたいな報道だけれど、便所紙はもとから買い置きしているし、乳製品食べなくても死なないし、特に困窮はしていない。 そろそろ病院に行きたいけれど、薬が切れたら死ぬような病気でもないし、もう暫く大人しくしていようと思う。 連休中も夫婦2人で大人しくしていた。 だってガソリン無いし、電車も止まったし、行ってもお店やってないし、主人は花粉症だし。
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