2009年06月17日(水) |
ドラマ「アイシテル〜海容〜」 |
少年同士の殺人の、遺族と加害者家族のお話である。 愛する我が子が殺人を犯したら? 愛する我が子が、刑法上の少年に殺されたら? 原作漫画は読んでいないが、放送出来ない箇所があるとかで、犯行に至る重要な部分を、ドラマでは多少変更しているらしい。 それでも、毎回泣ける話である。 私はクライマックスである筈の最終回だけ、さっぱり泣けなかったけれど。 悔恨の涙を流す加害少年に、いやいやいや、この年頃の子供にそこまで理解出来るかね?と思ってしまった。 それはいいとして、まあ、一言で言ってしまえば、
これは、レア・ケースなんでないの?
と思った次第である。 このドラマは、加害者・被害者双方の家族が、ごく普通の家庭という設定である。 だからこそ、加害少年の家族は、悩み、苦しむ。私の育て方が悪かったの? あの子を産んだのは間違いだったの?と。 さて、新潮文庫に、新潮45編集部編シリーズがある。 私はそのうち4冊を所持しているが、これに出て来る殺人少年の親は、全くもってクソである。 死んだ被害者の事など忘れたように、普通に結婚して子供までいる加害者。 しかし裁判で決まった賠償金も支払わず、嘗ての加害少年の親はそれを記者に詰られると、 「未成年のやった事なんだし、もう終わった事なんだからいいでしょ!」 と捨て台詞。 読んでいて、他人事ながら殺意が沸いた。 そもそも、普通の子供は殺人なんてしない。 そして殺人少年の親は、大抵普通じゃないのだ。 勿論作り手は、自分達と同じような普通の市民が、こういう事件に巻き込まれたら……と視聴者に身近に感じさせるためにこの話を書いたのだろう。 被害者死んじゃって可哀相、加害者赦せない、というのが普通の感情だが、加害者の犯行に至る背景を描き出す事で、視聴者は加害少年にも同情を抱き、その親の切ない心情を味わう訳だが、果たしてそれでいいものだろうか。 確かに加害少年の親にも問題はあり、被害少年にも非はあったが、ううーんと唸ってしまう。 果たしてそれで、殺人少年もまた被害者である、と言っていいものか、疑問である。 被害者キヨタンが加害少年を馬鹿にするような事を言ったとはいえ、果たしてそれが、殺されるほどの事だったかと思うと、それは否である。 言っていい事と悪い事の区別が付かぬいたいけな子を殺したのだ。 常々、殺人少年の親は責任を取って、子供を殺して自分も死ねと言って憚らない私としては、加害者親には「あなたを愛しているのよ」ではなく、ここはやはり泣いて馬謖を斬って欲しかったと思うのである。 けじめは必要よ。 加害者の親が、加害少年の下に子供を儲けたなら、その子はキヨタンのお姉ちゃんに殺されたらあいこになるのにね、と私が言うと、主人に引かれてしまった。 但しキヨタン姉は14歳以上になってしまうので、殺人じゃなくて事故で。 やはり、このまま加害者家族が全てを忘れたかのように幸せに生きて行くなんて、釈然としないのだ。 鬼悪魔と言われても、本音の部分で私はそう思う。
でもキヨタンを見ていて思った。 口は災いの元。私も殺されないように、口は慎まねば……。
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