4日間の実家暮らしを終えて、帰宅した。 主人と同じ電車で帰って来る筈が、途中で通行止めがあってバスが迂回路を取ったため、1本遅れた電車になってしまった。 それでも一緒に晩御飯は食べられたので、まあ良しとしよう。
4日前、往きの電車で読もうと、駅前の本屋で文庫本を物色した。 読みたい本は一杯あった筈なのに、これだけ本があると、何を読みたかったか判らなくなってしまう。 何にしようか迷っちゃう〜♪ではないのだ。読みたい本が、判らない。 やっと「読みたい本」のひとつを思い出し、店員に「『死体は語る』(上野正彦著)はありますか」と訊くも、無いと言われてがっかり。 仕方ない、新潮45でも買うか〜と探しても、これまた無い。 お昼を過ぎていたので、ウロウロするうちにお腹が減って来た。 もう面倒臭い、何も買わずに飯食いに行くかとも思ったが、読み物が無いと電車の中で退屈してしまう。 平積みにされている文庫本を物色するも、本屋は夏休みのゆとり向けの課題図書ばかりで、どうにも食指の動く品揃えではない。 ああもう!と30分近くうろついた挙句、私が買ったのは東野圭吾の「手紙」だった。 古本屋に行けば、もっと安く買えるのに……と敗北感に塗れながら。
結論として、買って損は無かった。 本書は、強盗殺人という重い罪を犯した兄を持ってしまった弟の話である。 ついつい不遇な弟に肩入れして読み進めてしまいそうになるが、1番気の毒なのは、この弟ではなく、それまで平穏な人生を送っていたのに、悪い事をしていないのに勝手に泥棒に家に入られて殺されてしまった被害者なのだ。 強殺犯の弟は差別を受けるが、それは犯人に課せられた罰の1つである、という行には、嗚呼なるほどねえと思った。こういう考えは好きだ。 強制猥褻犯の部員を抱える桐生第一高校の甲子園出場問題のように、連帯責任など時代遅れで全ては個人の問題と片付けようとする向きがあるが、それでは個人はどんどん勝手な方向に進みかねない。 連帯責任を強化すれば、犯罪抑止も期待出来るのではないだろうか。 腐った高野連は兎も角、本書は切ない話である。主人公の境遇だけではなく、好きな男に袖にされても想い続ける女とか。 主人公の親友はいい奴だ。登場人物の中で、ダントツ好人物である。 実は、私が東野作品を読むのは、「白夜行」に続いてこれで2作目だ。案外読んでいないな。 「白夜行」もそうだったが、読むと結構引き摺る話を書く作家なのか?
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