私が字も読めない頃から、母は本を読み聞かせてくれ、字を読めるようになると、今度はよく図書館に連れて行ってくれた。 子供向けの世界名作全集も買ってくれたし、お蔭で私は読書好きな子供に育った。 今の若者や子供は、活字が嫌いだの字も碌に読めないだのと言われるが、それらは全て親の責任だと思う。 私が子供の頃とは違い、今は多様なゲーム(ここではプレイ・ステーションをはじめとする、家庭用ゲーム機及びそのソフトの事とする)がある。携帯型の物まである。 ゲームは楽しい。勉強より楽しい。 子供がその味を覚えれば当然、本や勉強よりゲームをしたがるだろう。 それなのに親は、単に子供が欲しがるからだの、友達が持っているのにこの子だけ持っていなかったら仲間外れにされて可哀相だの、様々な理由で買い与えてしまう。 中には、これを子供に与えたら子供のためにならないと思いつつ、自分がしたいがために子供に買い与える場合もあるだろう。子供をだしにしているのである。 どちらにしろ、小さい頃からゲームがある生活は、教育上好ましくない。馬鹿が量産されるだけだ。 そして数十年後には、その子供達が親になる。 馬鹿が馬鹿を産むのだ。 考えただけで恐ろしい。
子供の頃に本を読まなかったらどうなるか。 答えは簡単だ。本に興味を持たない人間になる。 活字嫌いだったり、日本人なのに漢字を正確に読めない或いは助詞を満足に使えない人間は、子供の頃に原因があったと思われる。 知り合いの国語教師は、国語力は小学校高学年までに決まる、と言っているし、私も、数は少ないものの何人かの子供を見た経験から、全く同意見である。
塾に行かせれば何とでもなる、と考える親が多いようだが、とんでもない。 鉄は熱いうちに叩け。 子供からゲームを取り上げて、本を与えろ。 まずは親が読み聞かせろ。 「勉強だけが人生じゃない」。確かにそうだ。 だがそれは、勉強どころか母国語さえまともに遣えない奴が言うと、ただの言い訳にしか聞こえない。 子供の間違いなら微笑ましいが、子供はいずれ大人になる。 学習しないままに大人になったら、本人が困るし、親は陰で確実に笑われるのだよ。
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