天上天下唯我独尊

2007年05月28日(月) 気狂いに刃物

情状酌量について私見を述べたが、横浜駅の事件も同じだ。
新潟は三条から、ぶらりとやって来た29歳の精神病患者に、2歳の女の子がナイフで刺された事件が、25日に起こった。
幸い女の子は命に別状は無かったが、運が良かっただけだ。
ここでも、犯人と被害者の間には、何の関係も無い。全くの行きずりの犯行である。
しかし犯人は患者。
という事は、刑法39条によってお咎めナシになってしまう可能性が高い。

患者、行きずり、殺人、と言うと、1人のキ印によって未来ある若者が命を絶たれた事件を思い出す。
今まで知らなかったが、精神病院入院中(犯行時は外出中)の犯人が起こした事件なので、てっきり39条適用でお咎めナシかあと思っていたのだが、僅か事件後半年で25年一杯の実刑判決が下っている。
これはレア・ケースなのだろう。

以前にも書いたかも知れないが、自分でも覚えていないので書いちゃうぞ。
刑法39条は、このままでは駄目だ。
患者が起こした事件だから仕方ない、で済ませては、被害者の無念は宙ぶらりんになってしまう。
世の中には確かに、「仕方ない」事がある。しかし患者が起こした事件・事故については、誰かが責任を取らなければならないだろう。
患者を守るだけではいけない。監督責任は誰にあったのか。
そこを明確にしないといけないのではないだろうか。
勿論、病院には沢山の患者がいる。一人一人をしっかり見張るのは、不可能に近い。特に今は、無闇に拘束したら駄目とか、人権がどうとか、色々煩いからな。
なので、病院に全ての責任をおっ被せるのは、適当とは言えない。
製造責任て事で、親が責任を持てればいいのだが、手に余るから病院に入れるんだろうし、そういう人に限って到底責任を持てそうになかったりするし。
1番簡単なのは、嘗てノーベル賞に輝い(以下自粛)

という訳で、私の中でもこの問題に関しては、まだ答えが出ない。
どうしたら、皆幸せに平和に暮らせるんだろうなあ。

ところで、キチガイと聞くとすぐに「差別用語だ!」とキィキィ叫ぶ人(ドビー?)がいるが、我が家の国語辞典(旺文社第九版)にはちゃんと載っているので、そのまま書いちゃうぞ。
「気が違っちゃってるんだから、仕方ないじゃん。差別でも何でもなくて、事実を言っているだけなんだけれど」とは、主人の弁。
全くもってその通りだと、私も思うんだけれど。


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