天上天下唯我独尊

2006年01月12日(木) 善意の募金

「○○ちゃんを救う会」というのを、時々TVで見かける。
現在の日本の法律では15歳未満の者からの臓器提供は認められていない事もあり、難病を抱える子供に外国で治療を受けさせるために、お金を集める団体である。
「救う会」というものを立ち上げて、縁もゆかりも無い人々からも善意の募金を募ろうという事である。

我が家では、一切の募金を断っている。
「募金なんてのは、どこにお金が流れるか、はっきりしないものが多い。勿論ちゃんとした団体もあるんだろうけれど、大概信用出来ないね。大体そんな慈善関係は、政府がやればいい。こっちは税金払ってんだから、それ以上他所に払う必要は無いよ」
と主人がキッパリ言ったからだ。
なるほどねえ。
お金を稼いで来てくれる人がそこまでしっかり自分の意見を持っているなら、私は反対はしない。

私の考えは彼とは違う。
まず、税金を慈善に遣われるのは嫌。
災害なら話は別だが、生活に行き詰まるのは自分のせいでしょ。
働く気のある人が一時的に困っているから助けるというのならありだけれど、そうでない人がダニのようにいつまでも保護にしがみつくのには、税金を遣って欲しくない。
募金については、私もしない。
慈善団体を信用出来ないからだ。
でも、仮令信用の置ける団体だとしても、私は募金をしないだろう。
アメリカで移植手術を受けるために、と言われても、お金を出して上げようという気になれないのだ。
たった10円のワクチンで1人の子供を救えると呼びかける団体もあれば、たった1人の子供を助けるために何千万円も集めようとする団体もある。
(勿論どちらがいいという訳ではない。アフリカの子供を全部救ってしまったら、世界的な食糧危機がやって来るだろう)
確かに、病気なのは可哀相だ。
でもそれは仕方が無い。
酷な言い方だが、その子供が背負って生まれた運命なのだとも思う。
数十年前までは、重篤な病気の子供は、すぐに死んでいた。
病に抵抗して生きる力を持たなかったからである。
今の医療は、死にそうな人でも無理矢理生かそうとする。
それが果たして良いのかどうか。
私は臓器提供の意思が無い。
親から貰った私の臓器だ。
今のところ、誰にもやるつもりはない。

自分が命に関わる病気をした事も無ければ、衣食住に困った事も無いから、こんな事を言えるのだろうか。
私は傲慢だろうか。


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