日々是迷々之記
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2006年11月07日(火) |
34年目の「ごめんね」 |
季節はもう冬になろうとしている。前書いたのは夏だからほんとに久しぶりだ。なんじゃかんじゃといろいろあって、もう誰も見に来てないだろうなあと思いつつも今日はここに日記を書こうと思った。なんだかんだと一番長く続いているネット上の活動がこれだからだ。
今日は会社を休んで母親が病院を転院するのにつきあった。これが決まったのが先週の金曜日の晩。それからは大鬱の日々だった。母親は寝たきりで、毎月月給の半分近くを入院費用として供出する日々。全部貯金していればもっとなんか買えるのになあ、何より昔みたいな軽いフットワークで転職できるのになあと沸々と思う日々。
その上に転院の手間が重なる訳である。家から50キロ先の病院に朝9時半。持ち物はティッシュペーパー5箱、バスタオル5枚、タオル5枚、パジャマ5枚、ウエットティッシュ、おしりふき、防水シーツ…。なんじゃかんじゃで大荷物だった。それを250ccのバイクにくくりつけて出発。
走りながら自分が自分でないように感じた。仕事が修羅場なのにこんなことくらいで休む自分はなんなんだろう。ただの「ええかっこし」なんだろうか。病院からの着信があると「もしや…」と倫理的に期待してはいけないことを期待してしまう。いっそのこと手をくだしてしまってもいいかなと思ったこともある。でも決まってそれなら自分の方が死んじゃえばいいのかなと思ってそこで終わる。誰か死ななきゃこの意味のない日々は終わらないのだろうか。
そんなことを考えつつ新しい病院に着いた。新しい病院では看護婦さんが私を母親の名字で呼ぶ。私はその名字を人生で一度も名乗ったことがないので、違和感があるがこっちの事情などもちろん向こうは知らない。いちいち母親とふたりっきりにさせようとするのが鬱陶しい。
こっちの様子を察してか、看護婦さんは三者面談のような形で私に話しかけて、それが正しいかどうかいちいち母親に確認をする。私はだんだんくらい気持ちになり、最後の方は顔が震えてほとんど話ができなかった。一緒の空気を吸いながら、良識ある親思いの娘を演じさせられるそのシチュエーションが私を狂わせる。
最終的に立っているのがやっとで、看護婦さんの過剰とも思われる思いやり光線に当てられ続けていた。私は話ができなくなってしまい、その場に空気が読めないひとのように立ち尽くした。
「ごめんね。」と母親が口を開いた。
何についてごめんと思っているのだろう。その場のいたたまれなさなのかそれとも、今までの悪行を悔いているのだろうか。「何かあやまるようなこと、したんですか?」と私は詰問したかったが、思いとどまる。あの人に私の気持ちが伝わった試しはないのだ。結局私は一瞥もくれずにその場を離れた。自分がどんなくだらない子育てをしてきたのか、ちょっとは感じているのだろうかと、思いつつ。
その後、新しい担当医の先生から話を聞いた。脳梗塞、糖尿病に加えて、心臓肥大、動脈硬化の傾向があるらしい。現在66歳だが、体年齢はそれプラス20歳くらいだと認識しておいてください、と言われた。
なんだかほっとしたような、がっかりしたような変な気持ちだった。あと20年とかは続かないんだ、というほっとした気持ちと、そこまで自分の親が不摂生を重ねていたのかという失望感。ほんとに尊敬するところが見つからない人だなあとしみじみ思う。
木枯らしの中、バイクを走らせて帰った。
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