日々是迷々之記
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2006年03月07日(火) 何を守ろうとしてたのか

今日はとある決心をした。これ以上母親に関わらないでおこうと思う。とりあえず手持ちのお金をあのひとの口座に振り込んで、病院側にもそのことを説明しようと思う。正直もう疲れたよという気持ちでいっぱいだ。

今日、区役所の人が寝たきりの母親のところに行ったらしい。すると生活保護なんか受けない。私は大金持ちで、土地もあるし株もある。子供もいて面倒を見てくれるから必要ないと言ったとのこと。立ち会っていたおばさんから聞いた。

それを聞いた区役所の人は、じゃ生活保護なんかいらないですね、と言って私に問い合わせると言って帰ったらしい。土地と株。土地なんか田舎に10坪とかで何になると言うのか。売却の手数料だけで消えてしまうような額ではないか。

もうひとつショックなことがあった。母親は前のだんなとの間にできた女の子(私の姉にあたる)に金銭的援助をしていたらしい。何度か私や妹のいないときに家に遊びにきたこともあるという。その人は私より7歳ほど年上とのこと。おばちゃんは何度か会ったことがあるらしい。

金銭的援助。その元は私や妹が家に入れていたお金である。妹がいくら入れていたかは知らないが、私は毎月10万円入れていた。友達の話を聞いても全然家にお金を入れていない子もいたが、私は母子家庭だからそんなもんかと思っていた。しかし、その裏、私の知らないところで姉に当たる人を援助していたのである。

それが相手が子供のときの話ならわかるが、母親の元だんなはお寺の息子で病気で亡くなった後、寺を売ってそのお金を姉に当たる人が手に入れたらしい。それで3年ほど海外に遊びに行き、使い果たして帰ってきたのが30前。それから水商売に入り、お客のつけを肩代わりしたりして貧乏になり、母親のところに泣きついてきたらしい。

私がえらくショックを受けていたので、おばちゃんは「まあ返して貰ったって言うとったけどな。」と言っていたがまあどうなんだろう。お金がどうだというより、陰でいろいろやっていたのだなぁということが信じられない。それくらいのころ、私はとても悲しかった。大学受験に失敗して「生まなきゃよかった。」と言われ、がんばって働き、留学して英語を身につけ、帰ってきてひたすら働いた。仕事も在宅と会社勤めの2本立てで家にお金を入れたり、母親を韓国やカナダ旅行に連れて行ったこともあった。

そして誰も祝わない結婚をして家を出た。母親は家人を人さらい扱いして、家人の実家に電話をかけたりむちゃくちゃしてくれた。そういう経緯があって私は家人には頭が上がらない。

結婚してやっと好きなことができるようになり、バイクに乗ったり、旅行に行ったり、洋服を買ったり、小さいゆとりのある生活ができるようになったと我ながら思っていた。

その中で今思う。結局私や妹はなめられていたのだ。きっと。

好きに生きてくれたらそれでいいと思う。もうこれ以上私が心を傾けることにあまり意味はなさそうだ。心の中で舌でも出しているのだろう。

さらば、母親よ。


nao-zo |MAIL

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