日々是迷々之記
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眠っていたら「さあ、払って頂きますよ。」と言って請求書を持ったおっさんがドアを乱暴に開き、妹や母親の制止を振り切り部屋の奥までやってきた。
という夢を見てわたしはもう二度と眠れないような気がした。枕元の時計を見るとまだ5時前だ。
別にこんなリアル借金取りが来たことはない。小学生の頃、月末に飲み屋の人が父親がツケでこんだけ飲んでるんだけど、と請求書を持ってきたりしていたが。
しかし、「いきなり変な人がくる」というのはよくあった。祖母が呼んだ新興宗教のお坊さんが来たり、大阪市の教育委員会が来たこともあった。我が家は私だけが苗字が違っていたので、高校受験の時に府立高校を志願していた私が越境入学をしようとして住民票を移したのではないかという疑いを持たれ、夕食時にいきなり変なおっさんが来たのだ。母親は私が娘であることを必死こいて説明していた。
こういうとき子供は無力だと感じた。ナンボ自分だけ苗字が違うことが嫌でも自分からアクションを起こすことはできない。親権者は家庭裁判所が決めることで、子供自身の希望など入る場所がないのだ。
うちの場合は私も妹も父親が親権者になったが、親戚の家に預けっぱなしになって、結果的に母親が引き取ることになった。が、しかし、父親は親権を放棄する気はなかったようで裁判になり、結果的に妹だけが母親が親権者に変わった。私は父親の苗字のまま母親と妹と暮らしていたのだ。
その後、何度か苗字を変えて欲しいと言った記憶があるが、裁判をしないと変えられないし、父親はあんたを手放しはしないよ、と母親は言った。あんたはあの男によく似ているから…。と言うのであった。足のつめ、物の考え方、本ばかり読むところ、怒ると無口になるところ、そのへんが似ていて今思えば母親を苛立たせていたのだと思う。
記憶というのはやっかいなものだと思う。いつもずっと残って自分の意志で消すことができない。頭の中がハードディスクになっていて、想い出はひとつひとつのファイルになっていればどんだけ楽だろう。都合の悪いファイルはさっさと消去していけば能天気なまま生きて行けそうだ。
昨日はバイク屋で友人のお父さんとお会いした。マフラーを交換するためバイクを預けていた友人が、お父さんにクルマで送ってもらって店まで来ていたのだ。十年来の友人なのでフツーなら挨拶でも、と思うのだが、私はちゃんとできなかった。ああ、この子もちゃんと家族がおるんやなと思うととても遠いような気がした。いや、親なんか誰でもいるんだけど、実際に横にいるという絵は私をびびらせるのに十分だった。
親子とか家族とかいうものはこうやって私のなかで重い課題として残っていくのだろう。多分愛なんか本当は存在してなくて、みんな自分のことしか考えてないと思っていたが、実は世の中は愛とか思いやりとかが存在していて、たまたま私の回りだけそういうものが希薄だっただけではないかと感じる。
しかしまぁ、何であんまり好かれなかったのだろう。親は本能として子を守ろうとするもんだが、父親は子供と遊んだりするのは得意だったけれど、育てることからは逃げていった。母親はしょうがないから引き取って、繰り言をため息とともに漏らしつつ、私を育てた。私はそれが分かっていたから気を遣って望まれる子であろうとした。しかし、私は自我を持ってしまい望まれるようにはできなくなってしまった。
今となってはどうするのが一番よかったのかわからない。結果として誰も幸せではないのだから、きっと間違った方向性であったのだろう。こんだけ精一杯気を遣っても「親不孝で地獄に堕ちる」(母親の妹さんの言葉)らしいので生きるのは大変だ。
人生があと何年あるのか知らないが、何となくもうおなか一杯なような、実は何も食べていないような不思議な気持ちだ。
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