日々是迷々之記
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2004年04月24日(土) 不安は雨雲のように

昼、珍しく携帯電話が鳴った。わざわざ携帯電話にかけてくるのは派遣会社か、外出中のだんなさんくらいしかいないので、ある程度「重要度・高」な用件であることが多い。今日の用件も重要度が高かった。

要約するとだんなさんの住んでいるアパートの上の部屋が火事になり、アパートは電気も電話も不通なのでホテル住まいになる。あと、火事で飛散した溶けたプラスチックやらなんやらでクルマはケタケタになっており、多分全塗装とガラス類の交換になるだろうとのことだった。

詳しくはまた連絡する、とのことで電話は切れた。

その後、私は何度となく携帯電話にメールを送ってみたが、返事はなかった。まぁ、もともと携帯でメールを打つ習慣のない人間なので返事を期待して、ではないのだが。火事って誰が責任取るんだろう、とか、家を空けてると火事場どろぼうが来たりしないんだろうか、とか、この辺りから微妙な不安が立ちこめる。

250kmも離れた場所から何かを心配してもしょうがないし、もし、わたしがバイクなりクルマなりで今すぐかけつけることができても何の役にも立たないことはわかってるんだけれども、不安は急転直下の雨雲のように心の中にぞわぞわと広がってきた。

夜になるころにはその雨雲はしっかりと心の中を覆い尽くしており、私は電話をかけることにした。これがまた悪いことにつながらない。つながらないものはつながらないんだから、何度かけても意味はないよと思いつつ、何度もかける。結局本人は寝ていたというオチなんだが、私は頭がおかしくなりそうだった。

「火事が終わった後に普通に電話してるのに、その後に本人に何かあるわけない。」というのは頭では分かっているのに、連絡が取れないことがこの上なく不安なのだ。不安なので何度もリダイヤルしつづけるという理不尽な行動を止めることができない。

結婚するというのはこういうことなのかもしれない。自分がダメージを受けることよりも相方がダメージを受けることの方がこわい。私が交通事故で入院していたときでさえも、自分の体の痛みより何より、もし治らなかったらこの後の人生を全部面倒見てもらうことになるんだなぁと思うと死んだ方がいいんじゃないのと何度も思った。幸運なこととよい先生方に恵まれたことで普通の生活を送れるようになったわけだが。

家族を持つということのヨロコビや安心感という好ましい側面と、とても大きな責任感。時として大きすぎる責任感に息切れしそうになる。そして、私はよく夫婦はどっちが先に死んでしまうほうがいいのかを考えるようになった。残された者が不幸なのか、先立つ者が不幸なのか?こぼれた水が蒸発するように、誰にも迷惑をかけず、誰の中にも何も残さず消えるのが一番いいと思うのだが、そうは行かないのももちろん分かっている。

「離れたところから心配だなんだって言っても役に立たないことはもちろん分かってるんやけどな。」私はそう言って電話を切った。この言葉はだんなさんに向けられているというよりは自分に言い聞かせているのだろう。

うーん、今日はオチがないなぁ。(日記にオチは要らないのかもしれないけれど、関西人体質だもんでちょっと気になるんである。)


nao-zo |MAIL

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