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091116
2009年11月16日(月)




 父が帰省する。東京を離れて暮らす唯一の心残りと言えば、父の急変時に即応できないことだ。水戸の駅からバスでさらに一時間の距離なので、もとより立ち会いができるとは思っていないが、今よりなお遠くなるのはなんとも心許ない。といって、在宅で看るのはいかにも難しいだろう。ケアをする上での資格的要件は揃いつつある。いつかいつかと思いつつ、もうじき十年が経とうとしている。





 弟の運転する車に乗っている。時々実家に帰っても、生活時間の違いからろくに会話をした覚えがない。狭い空間に長いこと一緒にいてなにも話さないわけにも行かず、ぎこちない会話が始まる。一頃前であれば、身内ならではの共感の欠如と、過去に遡って冷笑する酷薄さが会話を尻すぼみにさせただろう。そうして話しかけるのではなかったという薄ら寒い気持ちになるのが常であった。しかしながら今この場においては、互いに一目置いて、不快にならない程度に気遣いをしている。自分にはない種類の鷹揚さや、威勢の良さを見るにつけ、果たしてこれは弟であったろうかと、傍らの人間を再認識するのだった。





 父のオムツを替え、閉じようとしたところ、見事に放尿されてしまった。照れ隠しの笑いに父の感情を読み取ることはできない。人が人を充全に理解し得ないのは当たり前にしても、こと彼に関しては澱みが激しく、その内奥を推し量ることすらできない。帰省にあたっての一連の働きかけは、善かれと思って行なう自己満足的なものに過ぎない。それでも、ごく稀に立ち現れる一瞬の澄明さに救われる。連れ帰って良かったと思う。





 別れ際は辛い。ベッド柵の隙間から覗く僕を後にして去らなければならなかったときの両親の気持ちはきっとこういうものだったのだろう。そのまなざしは交差している。若い父と幼かった僕の。立ち去る僕と車椅子から見上げる父の。長い年月を越えて、僕は父に幼かった自分を見る。同時に、父に映る自分の姿に若かった父の姿を見る。そして彼の見るものは、幸せの面影であって欲しいと思う。幸せの解釈は人それぞれだろうが、少なくとも、なにかに悩まされることなく、心穏やかであってくれることを願う。





 『或る感情の量を極度まで増してゆくとおのずから質が変って、わが身
 を滅ぼすかと思われた悩みの蓄積が、ふいに生きる力に変るのだ。はな
 はだ苦い、はなはだ苛烈な、しかし俄かに展望のひらける青い力、すな
 わち海に』


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草月ホールで下條信輔、佐藤勝彦、他
「ルネッサンス ジェネレーション ’09
[パラレルワールド!]-明日見る夢を、あなたは憶えていますか?-」
BLDギャラリーで柴田敏雄、鷹野隆大トークショー

世田谷美術館で読売交響楽団「モーツァルト:ディヴェルティメント 他」

早稲田松竹でビクトル・エリセ「エル・スール」「ミツバチのささやき」
シネマート新宿でデニス・ガンゼル「ウェイヴ」





東京都現代美術館で「レベッカ・ホルン展 静かな叛乱 鴉と鯨の対話」
「スウェーディッシュ・ファッション-新しいアイデンティティを求めて」
「ラグジュアリー:ファッションの欲望」
「妹島和世による空間デザイン/コム・デ・ギャルソン」
BLDギャラリーで「柴田敏雄作品展『a View』」
ラムフロムで「鷹野隆大『男の乗り方』展」
東京アートミュージアムで
「楢橋朝子写真展 2009/1989『近づいては遠ざかる』」
















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