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091105
2009年11月05日(木)




 職場研修の一環で音楽療法を学ぶ。閉じた身体の頑さに苦労する。一時的接触に対する極端な恐怖と、経年による自尊心の拡大が、押し広げようとする外部からの働きを悉く拒む。一向に火の回らない炭を片目で睨みながら、長らく居心地の悪い感じを味わっている。手っ取り早く人肌への欲求を満たす術はあるものの、予期せぬ方向からの接触に背筋のぞっとするような感触を得る。





 自身で枠を作り、その中で自足するようになったのはいつからか。新たな個性を認識し、受け容れるのがとても億劫で、以前出会ったパーソナリティーを敷衍してなんとなくその人を知ろうとする。調和を乱すものが苦手だ。発信する力の乏しいものに手をかけて調和を作ろうとするものの、それが想像以上に傍若無人だと途端にアプローチする意欲を失ってしまう。





 禿頭の僧が言うには、自分でなんでもできるという思い込みが「最も人間的な心を忘れて他人を支配しようとする」傾向に拍車をかけるとのこと。初出の音楽療法の講師もそうだったが、人を惹き付ける吸引力のある人間の周囲に展開されるファンの構成が肌に合わず、事物を射抜く発言を聞くも、総じて居心地の悪い思いをした。





 不安年慮を打ち消す思考が亢進し、読書のできない期間が続いた。調和を求めるにも関わらず、均整のとれた室内では寛ぐことができない。適度に乱雑な場の方が居心地は良いのに、望んでそうしようとすると不自然になり安らぐことができない。そんな性質を面倒臭いと思いながら、一部容認している節もあり、もしかしたらそれを愛しているのかもしれないと思ったりもする。





 夏惚けの覚めやらない頭で浅いところを徘徊していると、現実のガス抜きとしてTと暮らす未来が作用している場合がある。そんなとき、未来はまるでファンタジーで、来春に向けて準備を始めなければならないのに、現実と地続きの感じがあまりにもしないため着手しようという気持ちが湧かずにいる。年と共に可塑性が狭まっているのを感じる。咄嗟に身を転じることができず、ぐずぐずと同じところで足踏みをして苛立ちばかりが亢進している。


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両国国技館でダライ・ラマ「『地球の未来』への対話 -仏教と科学の共鳴-」

シアターN渋谷で井口昇「ロボゲイシャ」
恵比寿ガーデンシネマで野村友里「eatrip」

世田谷美術館で「オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー」
「和のいろ・かたち-日本画と工芸作品を中心に 第2期収蔵品展」
山種美術館で「速水御舟 -日本画への挑戦-」
上野の森美術館で「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝」
メゾンエルメスで「ジャン=ミッシェル・アルベロラ展
『大きいものと小さいもの-チャプター2』」
21_21デザインサイトで「THE OUTLINE 見えていない輪郭 展」
根津美術館で「新・根津美術館展 国宝那智瀧図と自然の造形」


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ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」
ジョージ・オーウェル「一九八四年」

読了。












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