群青

wandervogel /目次 /一覧 my

090817
2009年08月17日(月)




 弱くなる。振りかざした拳をTが包む。Tと暮らせば、もう怯える必要もないし、何かに拳を振り上げることも格段に少なくなるだろう。社会は敵ではない。牙をむき出しにする必要もない。新しい土地には新しい規範があり、今までと違う価値基準がある。そこでは調和と配慮が重んじられ、転じて激しい敵愾心はそこにあるものを損なわせる一方だろう。これが異性愛者であれば融け込むのも幾らか容易かったろうにと思う。子を、家族を、家庭を守るための自己犠牲は時として力になり得る。守るべき者を持たないが故の仮想敵をこしらえずとも、関係性に憩うという方法もあるだろうに、総毛を逆立てて拒絶していた者にはそれがとても難しく感じられる。まるで、孤独を奪われたらば息ができなくなるとでも言うかのように。


 呼吸法を変えれば良いのだと頭では分かっている。えら呼吸から肺呼吸へ。あるいはその逆へ。孤独を媒介とせずに、家庭的(疑似)なあたたかさから酸素を抽出すれば良いのだ。年々、冬への抵抗力が低下していることからも、それが避けられないことなのだと分かる。二律背反と付随する二者択一に帰着しがちな了見の狭さが恨めしい。張り詰めていたものが溶解したらば、自分を自分たらしめていたものまでが溶け出してしまうのではないかと思ってしまう。硬化した表皮の下で腐り、流出する臓腑。すっからかんのがらんどう。つくづく変わることは難しい。得ることよりも失うことを恐れる貧しさと、積年の慣習が、変わろうという気概の足を引っ張る。


 ただ、この変化がもっと先のことではなく、もう間もなく起こるということに歓びを見出して良いのかもしれない。むしろ、手を加える余地、即ちまだ可塑性のある間にそれに直面できるのは幸運なことなのかもしれない。Nさんは言う。「大丈夫、十年経てば慣れてるよ」と。相反する感情を持ちながら、なかなか東京を離れられないでいたが、もうそろそろその言葉を信じて良い頃合いなのかもしれない。じきに二十代が終わることを思うと、十年という歳月の遠さにくらくらするが、多分今がその時期なのだろう。






-----------------------------------------------------------


青山ブックセンターで藤森照信、赤瀬川原平、藤塚光政
「この先になにがあるのか--1960年代と2000年代の実験」

TOHOシネマズで細田守「サマーウォーズ」
ユーロスペースでイジー・バルタ「屋根裏のポムネンカ」
早稲田松竹でジョン・クローリー「BOY A」
ヴァディム・パールマン「ダイアナの選択」
吉祥寺バウスシアターで田口トモロヲ「色即ぜねれいしょん」

東京オペラシティアートギャラリーで
「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」
「開館10周年記念 響きあう庭」
パナソニック電工汐留ミュージアムで
「建築家 板倉準三展 モダニズムを住む 住宅、家具、デザイン」

片山東熊、村野藤吾【赤坂迎賓館】






-----------------------------------------------------------


上橋菜穂子「神の守り人」
オリヴァー・サックス「火星の人類学者」
恩田陸「いのちのパレード」
アーシュラ・K・ル・グィン「闇の左手」

読了。








過日   後日