群青

wandervogel /目次 /一覧 my

0818
2008年12月25日(木)




 毎日夢を見る。眠る間際と起きがけの混沌が少しずつ拡大して行くようだ。頭のなかが騒々しい。夢が洩れ出し、現実を浸食するのに比例して、強迫性障害が日常に支障をきたすようになった。頓服とは違う新たに処方された常用を口にすると、頭のなかはしんとなり静けさを取り戻す。

 熱いシャワーを浴びる。身体はあたたまるのに、胸のなかはどんどん冷たくなって行く。暗く冷たいところに落下して行くような気がする。またここに戻ってきてしまった。

 Sさんをもてなそうと大量に食材を買い込んだ。のだが、自分の調子を考慮に入れていなかったせいで、結局それらを全て持て余してしまった。ちっとも食が進まないものの、平時の勢いでバイキングの店に行く。「(Mさんが発病した)あのときから時間が止まっている」とSさんが言う。傍らでは細身の女性独り客が猛烈に食べ物をかき込んでいる。水の入ったペットボトルを持って度々用足しに行くことから、その症状はうかがい知れた。コートとバックが投げ出された席と、荒れに荒れたテーブルを交互に見て、Sさんと目を合わせる。気の毒だね(それは一体誰が?)。


 『我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システ
 ムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定して
 いる。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場
 所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かない
 し、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰に
 も抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に
 向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。
  事実というものがある場合に奇妙にそして不自然に映るのは、あるい
 はそのせいかもしれない。我々が意志と称するある種の内在的な力の圧
 倒的に多くの部分は、その発生と同時に失われてしまっているのに、我
 々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に
 奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ』


 冷蔵庫のなかでゆっくりと肉が腐る。それを見てもはや僕は片付けようとしない。衛生の観念だとか、身の回りを整頓することだとかがすっかり遠くに隔たってしまった。自分が何を食べたいのか(食べていいのか)すら分からない。一時間近く街をうろつき廻って、一大決心のもとに飲食店に入るものの、口に入れた途端、これじゃなかったと後悔の念に駆られる。

 夏の間に失った体重を取り戻すかのように、食べて食べて食べる。そうして存在をつなぎ止めているようでもある。詮方なく入ったどうしようもなく薄っぺらいファミレスで、以前関係を持った相手を見かける。一つ間を挟んだ席に、ベビーカーの子供と妻であろう女性とで食事をとっている。胃に詰め込んだ、誰が作ったのか、どこで作られたのかも分からない食物が逆流を起こしそうになった。


 『それで僕はからっぽになってしまいました。生まれてこのかたあれほ
 ど空虚な思いをしたことはありません。ちょうど心の中から出ている何
 本かのコードをわしづかみにされて力まかせに引きちぎられたような、
 そんな具合でした。胃がむかむかとして、何を考えることもできません
 でした。僕は孤独で、一瞬一瞬もっと惨めな場所に向けて押し流されて
 いっているような気がしました』


 Tと日生へ行く。長い時間をかけて行き、同じだけの時間をかけて帰る。頭を窓に傾けてTが眠っている。Tの健やかさを疎ましく思う僕が疎ましかった。


-----------------------------------------------------------


アートエリアB1でアートミーツケア学会「呼吸する〈からだ〉と〈こころ〉」
青山ブックセンターで石川直樹トークショー。

ワタリウム美術館でSoulit、SEKI-NE「Living Together Lounge」

TOHOシネマズでアンドリュー・スタントン「WALL・E」

表参道GYREで「ダレン・アーモンド 眠るように甦る」
国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」


-----------------------------------------------------------


村上春樹「回転木馬のデッド・ヒート」
鹿島田真希「六〇〇〇度の愛」
村上龍「五分後の世界」
イアン・マキューアン「愛の続き」
ポール・オースター「幻影の書」

読了。





過日   後日