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0816
2008年11月22日(土)




 追い立てられる感覚がまるで消えない。身体のどこか一部が常に力んでいて、とりあえず湯船に浸かってみて対処するも、ちっとも平静に戻らない。初期のパニック症患者が連れ合いと一緒であれば外出できるように、親しい間柄の人間と時間を共有していれば多少なりとも気が紛れようものだが、一旦関西を離れてしまえばそれとてもない。きっと、引き算の発想だから辛いのだろう。性根が貧しいから、足されるものよりも、引かれるものにまず先に目が行ってしまう。





 また夢を見る。以前付き合っていた、Tと同名のTの荷物を僕は持っている。そこは地元の駅だ。終電で向かう。帰りの移動手段はない。きっと長い距離を歩くことになるのだろう。電話はつながらない。それでも僕は向かっている(屋根のないヘンテコな電車で)。あるいは僕は両親にカミングアウトをしている(そして父は健在だ)。言うべきことをつらつらと考えて、結局、言うべき相手がもういないことに思い至る。夢から覚めるまでは。





 このところ、夢の方が現実よりも感情的に充足した生を送れているのは悲しむべきことなのだろうか。選ばれなかった選択肢。送ったかもしれない人生。僕は予定調和を生きている。職場で、そして東京で。ギアチェンジをしたらば誰もついてこられないことが明白になってしまったので、頓服を服用して自ずからギアを変えられないようにしている。後悔はしていない。ただ、傲慢だと自問することで、自分の傲慢さを糊塗するのに疲れた。





 輪郭を際立たせる冬の光が苦手だ。くっきりと照らし出されると身の置きどころがない。それに伴い、人と人との距離も寸断されるような気がする。引き換え、夏のまどろむような日差しと境界を曖昧にする暑さは優しく、混沌のなかでぐつぐつと煮えたぎるとき、僕は生きていることを実感できる。きっとこれもまた、冬を前にした世迷い言なのだろうが、僕は年々強く(鈍感に)なっているのか、弱く(過敏に)なっているのか、それすらもう分からない。一人で生きて行く自信がない。


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GALLERY・MAで「安藤忠雄 建築展[挑戦 -原点から-]」


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河合香織「セックスボランティア」
ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」

読了。





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