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富士子さんの最期
2004年10月29日(金)

10日ほど前に入院した富士子さん
運ばれてきた時から状態は悪かった。
レスピレーター(人工呼吸器)をつけてもそう長くはない。
しかも、本人の苦痛も強い
体がむくんできたり
口や鼻が切れたりただれたり
様々なトラブルもある。

そういうことを踏まえたうえで
ドクターが家族に説明をしたが
ご主人と子供達の意向でレスピレーターを
つけることになった。

ふと。。
かわいそうだな、富士子さん。。。って思ってしまった。

何度も危機を脱して
なんとか持ち直して数日が経過しました。

しかし、、、日がたつにつれ
顔がむくんできた。
瞳孔はすでに開いている。
足の色も紫色になってきている。
しかし体温調節機能は麻痺してる為
40度近くの発熱が続く。
背中は赤黒くなってきている。
管の入っている鼻は潰瘍になって痛々しい。


少しでも綺麗な身体で家に帰ってもらいたい
と私達も毎日ケアを続けます。
すると昨日、親族から
いつまで、続くのでしょうか?
と死を待つような言葉を聴いた。
変貌していく姿が見ていられないのでしょう。
親戚の方々はあのまま逝かせてあげればよかったのに
とご主人の決断を批判します。

そして今日の夕方、とうとう心停止
こういう日に限って親戚のおばさん一人しかいません。
親族なので普通はその方の立会いのもと
死亡確認をするのですが
ご主人や息子さんがいないと困るとのこと。


レスピレーターをつけたまま
お尻は便で汚れたまま
息子さんとご主人の到着を
待つことになりました。

管を早くとってあげたい
綺麗にしてあげたい

死後硬直が始るから
何度か、処置を申し出るが
このままの状態を息子さん達に見せてあげたいから
と拒否される。

一時間半、管も入ったまま
放置です。

いったい何を一番に考えているのでしょう。
富士子さんは何番目?

家族が揃い
死亡確認され、処置をしてご帰宅。
すると、自家用車で帰るとのこと。
たいがいは葬儀屋さんの寝台車で自宅に帰るのですが
それも一応、家族の自由です。

車を見たとき、言葉が出ませんでした。
運転席と助手席との間に頭を入れるように
してギリギリ足が納まるひろさ。
おまけに枕ひとつと
タオルケットだけが積まれています。
シートが倒されかわいそうなくらいの段差がある。

病院の布団等で段差をなくし
なんとか富士子さんを車に乗せた。

最後の最後まで
悲しい気分のままお見送りしました。
















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