やっぱり暴力には暴力なんでしょうか。どうも納得行かなくてパパに噛みついてみたけれど(本当に噛み付いたわけじゃないですからね ^^;議論をもふったという意味です)結局、一度テロに屈すれば、あの国はテロ行為をすれば言う事を聞いてくれるという事になって新たなテロリズムの標的になるという事なんですね。でも際限のない「いたちごっこ」は憎しみを増幅するばかりだと思うんだけどな。そうしてできた深い溝はもう取り返しのつかないものになってしまっているんでしょうかねぇ。人種、宗教、思想、どうしても相容れないものが、この世にはいっぱい存在するんでしょうか。「人は許す事ができれば、みな幸せになれる」これは 三浦綾子の『氷点』の中の台詞です。おそくらくこの小説のテーマにもなっている言葉だと思うんですけど、それがそう簡単な事ではないから小説にもなるし、今般のような事件もおこるんでしょうね。幸いな事に私は殺したいと思う程、人を憎んだ事がありません。こうして机上でいろいろ言ってみても所詮、空論なんだろうな・・・・ それとも、考えるだけでも意味はある? (9:15am)