変わらないものは何ですか

今から書くのは、とりとめもないこと。紛れもなく私が思ったことだけど、だからといって何かがあるわけでもないかもしれない。

声の無い閲覧ばかりに耐えかねてサイトをやめる気持ちが私はちょっとだけ、わからなかった。今も、それならば話ができる人を見つけ出せばいいのでは、とわりとそんな風に思っている。いつも受身じゃ世界の広がり方は小さい。ほしいものがあるならば、取りに行こうと思うだけじゃ足りない。いまさらなんてことはない、そう思ってかけださなきゃって、そんな風に思って…いると思う。

この間、夜…夕食時を過ぎた時刻に某ファーストフード店で一番安いドリンクを机の端において、一生懸命ノートに左手で何かを書き付けている男の子がいた。たまに何かを考えるように宙を眺め、ふと気がついてページを戻って書き足したり、図…絵を描いたりしてた。勉強しているというよりも、どちらかといえば何かを作り出しているような子だった。何をしているんですか、ととても強く聞いてみたかったけれど、そのときは連れがいたので聞けなかった。だけど、あの時いた少年はまたあの時間あの場所にいるのだろうか、と私は思い出す。…変な人と思われようと、私はあの時一人だったら声をかけていたかもしれない。きっとそれを後悔したりはしない。

どんなに仲が良くても、時がたつにつれその記憶は薄れてしまう。そして人は、誰しも時とともに変化するものだ。容姿が変わり、趣向が変わり、そして環境が変わる。あのときのあの人を知っていても、それはいまや過去でしかなくて、私はその人の何を知っていると思っていたんだろうとたまに、思ったりする。どんなに仲がよくても、今がなければそれはただの残像に過ぎないのかもしれない。

それは一方的な好奇心にすぎなかったかもしれない、けれど時間がたつうちにその形は変わり、そして今があるなら、きっかけがどんな形であろうとかまわないんじゃないだろうか。

どんなに口先で愛を叫んでも、それは所詮ただの言葉でしかない。そんなことを言われても、と思うかもしれないけれど、その人が発する言葉をじっくりと聴いているとその重みはわかってくるように思う。いくらがんばって言葉を尽くしても、その人がどれほど相手を思っているかは自然にわかる。口先だけの言葉を投げかけて、それを冷ややかに見る私を非難がましい目で見ないでほしい。それならあなたは私の何をみて、何を知っているのだという言葉をぐっとのど元でこらえる私に気づかないのに、それでも言葉を並べ立てようというの?あの人が覚えいていた事を、あなたは記憶にとどめていないのに同じ態度で接してほしいなんておかしい。だって、あなたは私を見てない。心の無い言葉は訴えかけるものなんて、ない。たとえそれが異性であろうと同性であろうと、同じだと思う。結局のところ、向き合っているのは人間なのだから。

人生をどう歩んでいけばいいのか、よく考える。…この年齢になって同級生を見渡すと、さすがに似たような環境で生きてきた人たちにもばらつきが出始めて、ああ本当に一本道じゃないんだと実感して、自分の歩んできた道を懐かしみ、だけどその道のりを肯定するしかないんだなと思った。

あの時一緒に過ごしてきた子。タイミングが悪かったとしか言いようがない一件。どうしようもなかったのは私にもわかるけれど、わかってもらえなかった気持ちは今もなお残る。もう心から笑ってくれることはないだろう。

ニュースを見ていて、不意にああニュースって難しいんだと気がついた。右から左に流れる難しい固有名詞のことを言っているんじゃない。そこに存在する、けれど解説の入らない背景事情を理解して、そこからいろいろなことを考えること、それが必要なんだと気がついた。「〜がありました」そんな短いフレーズにも実はちゃんと世界の動きが潜んでいる。そして、それと同様に文章にもいろいろな意味は存在する。簡単なフレーズにもたまにもっと深い意味…含みを持たせている場合だってあるんだ。気がついた人だけが、わかってくれればいい。

友達との縁は案外薄くて細くてもろいかもしれない。だけど、それをつなげていこうと思う気持ちがあれば、つながるんじゃないかという事を考えていて、今がそうなんじゃないかなって考えた。今後のことなんてわからないけど、特にネットという世界ではその気持ちがあるだけでだいぶ違うと思う。
…だけど、それは強要するものじゃない。そのことに、気がついたのも最近のこと。いろいろ気がついて、見て、見失って、手放して。そうやってなくなってしまうこともある。だけどそれは仕方のないことだから。・・・だから、もう取り返したいとは思わない。

…結局、ここにいた私は今も生身の人間として存在してるけど、ここにはいない。表現のレベルも下がって、自分でいろいろ自覚もある。
唯一、ここで私が戸惑ったのは、閲覧者の存在。前の話に戻るけど、アクセスはあるのに無言の閲覧者というのは、ある意味管理人からすると恐怖にも値する。なぜ、何を見に来てくれているんだろうと。そして、ここは案外昔からのお知り合いも知っていたりして、それも若干…複雑に思うところもあった。
無難に無難にとこの数年の月日が過ぎて、今はもう毎日書いていた日記もやめてしまった。書くのが苦痛で。何も無い日々を記す意味は、もうないのだと思う。だから、たまにふと書きたくなったときにここで日記を書ければいいなと思った。

最後に。秒速5センチメートル、やっと見ました。主題歌が主題歌だから、そっちに何か思うことがあるかと思ったけれど、私は関係性がわかった時点が一番痛かった。生きていること、生活すること、見つけたもの、見失ったもの、うまく伝えられなかったこと、手にしたもの、そして今現在。何を大切にして、生きていけばいい?
2009年03月19日(木)

ワタシイロ / 清崎
エンピツユニオン