りとるのひとりごと。
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2001年09月18日(火) グウタラ遺族

胃が痛いしね。
身体だるいしね。
眠いしね。

どーも、元気でないなー。

義母が帰ってきてブツブツ言っていると憂鬱になるし。

息子がぐずると疲れるし。

ダラダラ横になってばかりいた。

息子との散歩はしっかり行ったし、買い物にも出かけたけど。

近所に、20代の娘さんで男の子供を連れて実家に出戻ってきた人がいる。
たまに子供同士遊ばせたりするのだが、彼女はリラックスしている。
実家でのんびり子育てって感じ。
彼女のお母さん・・要はおばあちゃん・・も、よく孫をみている。
助け合ってるって感じがすごくした。

ダンナが自殺して、そのダンナの実家に子供と入るってのは、かなり
特殊かもしれないと、今になってやっと思いだした。鈍いなー。
というか・・去年はそんなこと考える余裕がなかったから。
ダンナの死と出産と子育てと。もう無我夢中という言葉がピッタシ。

やっぱりね、実家がちゃんとあって、両親がうまくいっていたら
実家に戻るべきだよ世の死別、離婚したママさんたち。
いろいろ問題はあるだろうけど。
でもうちは実家は存在はしているけど(抵当に入ってはいるが)、
両親は離婚してるし、実家自体は父の愛人の巣窟だ。

私が中学生の頃から父は愛人を作っていた。
嫌がらせの電話が毎日何十回きたことか。夜中だろうがかかってきた。
出ると無言か、すぐ切れるか「親父を出せ!」と怒鳴るか。
10代の多感な時期、メチャメチャ恐怖だった。

庭をメチャクチャに荒らされたこともあった。
当時小学生だった弟はそれ以来不登校になった。
カウンセリングを受けても、不登校は高校まで続いた。
大学も2浪した。
大学生の今でも精神科を受診し、薬を飲み続けている。
「こうなったのは親父のせいだ」と、父の部屋のドアに「死ね」と
書いたこともあった。
今は父のすねを無くなるまでかじり続ける気らしい。
弟なりの「復讐」なんだそうだ。

私はストーカー行為を続ける愛人の一人に立ち向かったこともあった。
彼女の車に乗り込んだのだ。
当時はすぐ殺生沙汰になることはなかったので、刺されずにすんだ。
今だったら危なくて出来ないかもなあ。
別の愛人は電話をかけてきて、そのまま自分の自殺行為(手首を切った)
を実況中継したりした。死ななかったらしいけど。
「おまえのせいで・・おまえのせいで・・私の家族はメチャメチャに
なったんだ・・恨んでやる・・許さない・・」など、地獄から聞こえて
くるような女のだみ声は、今でも忘れることが出来ない。

そんな愛人達と別れられない父を憎んだ。
ろくな女を愛人にしてないんだよまったく。
母も私も命の危険すら感じたこともあったのに。
父はいまだにしらを切る。バカだよホントに。

そんな大バカな人間を父にもつ私は超大バカ?!

あら、昨日と同じオチ。わはは。


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