amatelasuの日記

2011年07月02日(土) 苛立ちという矛盾。

対話の重要性を説きながら、他者に対して苛立ちを覚えるのは矛盾しているのだろうか。苛立ちは他者へ向かうとき、怒りとなって攻撃として相手に伝わってしまう。

それでは争いしか生まれない。苛立ちと怒りをもって彼に対するとき、対話による和解へと至る道は閉ざされてしまう。


常識的な見解で言えば、理解を示さない他者との対話の方法を探るのが正解だとう。だが、今の僕にそれを実行できるだけの力があるとは思えないし、それは指導者の仕事ではないかと思う。

では、僕は何をするべきだろうか。
批評の果てに指導者の登場を煽動するべきだろうか。
それは果たして全体主義へと至る道と何が違うのだろうか。


対話のテーブルにつこうとしない他者に対して、粛清を試みたシャアや鉄仮面と、それでも対話を試みた刹那と。人類がいまだ答えを出せない問題に大して、次に目指すべき姿とは何なのだろうか。


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