amatelasuの日記

2011年06月28日(火) 来るべき対話

ダブルオーの劇場版を買った。
理想と現実が見事に渾然一体となっていて、僕はあれから勇気をもらえる。


けれど、現実の僕はいつまで経っても前にすすめない。
なぜなら来るべき対話が訪れないから。
どれだけそれに備えていても、それはいつまで経っても訪れない。
そして、現在の現実に決着が付かないから、現在に留まり続ける事しかできずに苦しむ。

自分の内も外も変革を求めている。
機は熟している。
しかし、ただ一点。彼女の呪縛が僕を現在に抑圧し、未来を目指す精神は現在から動けず本来とは違った姿に縛り続けられ、蝕まれ力を失ってゆく。
すでに羽ばたく力を失っているかもしれず、開放されたとしても飛び立てずに腐っていくだけかもしれない。

生きる意味は、いまだ確証は得られない。


未来を目指すために今の在り方では間違っていると気付いているのに、その無為の中にあり続けなければならない。いや、もはや抜け出す力もないのかもしれない。

ただ、死なないだけの理由を作り続けて延命するだけの日々。





どうしてこうも他人の人生に対して無自覚に無責任なのだろうか。
その程度の人間だったのか、あるいは僕がその程度の扱いで十分な人間なのか。後者であれば、30年生きてきてその程度の人間に生きる意味などあるはずもなく、その30年は結果として間違っていたという事なのだろう。

あるいは希望としての前者であった場合、それは対話によって解決できるかもしれないという希望が、僕を現在に留める呪縛なのだ。対話による解決を放棄するとき、僕は解放されるだろう。しかし、それは宇宙世紀が解決できなかった命題を、僕もまた闘争によって放棄するという悲しい結末を選ぶ事に他ならない。

だから、僕は僕の哲学に従って、たとえ現在に縛られる事で僕という存在の全てを浪費しようとも、対話を目指す以外に未来を目指す方法を知りえない。


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