2011年02月11日(金) |
最後は梯子を外された形となった。 |
最後は梯子を外された形となった。
そう表現するべき状況が幾度となく僕の前に現れ、再び一から登りなおす作業を幾度となく繰り返してきたように思う。 僕はそれを賽の河原と呼ぶ。
それは仕事もそうだし、人間関係でもそうだし、人生の要所で、いつもその疎外感と絶望と戦ってきた。最後の最後、本当に重要な所はいつも僕とは関係のない所で進む。
幾度となく梯子を外されても、石を蹴り飛ばされても、それでも僕が再びやり直してこれたのは、どんなにひどい状況でも幾ばくかの可能性が残っていたからだ。
けれど、もう、なんと言うか、可能性を見つける力すら残っていないのかもしれない。
些細な仕事のミスを乗り越えるのに連休を無気力に費やしてなお、乗り越えられていない。なんというか、精神の浄化作用がうまく機能していない。今までなら自己解決できた事が出来ない。
長い年月をかけて培ってきた一人で生きていく力が、あっさりと崩壊してしまった。かといって、誰かに寄りかかって生きていく方法を知らない。なんという絶望。要するにこれが自殺者3万人の現実なのだろう。
なんどオナニーしても胸の中の澱が抜けない。気持ちがリセットされない。自分が戻ってこない。
中途半端に成熟などと語ってしまったがために、にっちもさっちもいかなくなってしまった。まあ、一度失敗しているので自殺は出来ないだろうし、そんな気力もないから、死ぬ事はないだろうけれど、精神的にも体力的にも余裕が出来たら不意に失踪するか、あるいはタイミングしだいでは死ぬかもしれない。
とにかく、29年生きてきて、ここまでのどん詰まり感は今までにない。たぶん、未遂経験がなかったら逝ってても不思議ではない感じだ。
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