2010年11月01日(月) |
賽の河原は崩れるから賽の河原なのだ。 |
僕の一週間は崩れた石を積みなおし始める所から始まる。 鬼は月曜日、僕が仕事に行っている間にこっそりやってきて、一週間をどうにか乗り越えた僕の気持ちを根こそぎへし折って去っていく。
そして、僕は何とかアニメや仕事などに助けながら折れた心をどうにか立て直そうとする。ウィークデイをどうにかやりすごし、忙しい週末を乗り越えて、これからも頑張ろうと芽生え始める生きる勇気。
さあ、飯を食ってゆっくり寝て英気を養おう。明日からも頑張ろう。と、帰宅すると、すでに鬼が嘲笑と共に積み始めたばかりの石を容赦なく蹴散らした後なのだ。
それを見て僕は愕然とする。 少しでも僕が「ちょっとはちゃんとしよう」と片付けたり掃除したり整理したりしていると、それはいとも簡単に蹴散らされる。それはもう、泣きたくなるくらいに、いとも簡単に。僕の人格や尊厳や矜持などゴミに過ぎないと何の躊躇いもなく蹴散らされる。
矜持や尊厳を少しでも持てば、それは毎週のように踏みにじられ、奪われる。毎週のように僕のいままでの人生や人格が全否定され、それをどうにか取り戻すと再び全否定され。何度繰り返しただろう。
もとより死ねない僕だけど、もう本当に死ぬ気力も無い。 あとはいつ立ち直ろうという気力さえなくなるか、それだけだ。 だから、「いつ死ぬんだろう」と思う事が多くなってきた。 折れた心を立て直す気力さえなくなったとき、僕の心は折れたまま死んでしまう。そういう事だ。
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