**Secret**..miho
孤独と依存
2006年03月11日(土)
私には、自分でも理解できない難しいところがたくさんあり、
その中の一つは、一人で居るのは別に嫌いじゃないのに、
一人ぼっちで孤独なのは淋しくて辛いと思ってしまうところ。
同じ「一人」には変わりがないのに、全くワケが解らないよ。。

何かに集中したい時には、一人きりを好みます。
一人の世界に浸って頑張るのは心地がいいから…
学生時代の試験勉強も、大勢で勉強会をするより、
一人で独学に専念する方が自分に合っていました。
そもそも、地道に努力をしている姿は、
敢えて他人に見せるものでもないでしょ。

自分以外の誰かと一緒に居ると、必ず、
その人の事ばかり考えてしまうから、
自分の事に全く集中できなくなってしまう。
だから、場合に応じて、自ら「一人」を
選ぶという強い意志があるという事になる。

でも、基本的に、私は、依存体質なので、
一人ぼっちだと淋しくて生きてゆけない。
常に大好きな人の温もりを感じていたい。
誰でも良いわけではないので、それほど
異常な依存でもないとは思うんだけど。。
それでも、相手なしでは自分は無に等しい。
価値もなければ意義もなく思えちゃうから…

そうなると、必然的に、束縛も生じてくるのだろうけど、
私には、上記のような、「一人」を好む性質もあるので、
束縛というものが、いかに苦痛や負担を強いるものかも
承知している。そのため、不意に束縛してしまう自分と、
それを嫌がる相手の気持ちの両方を理解できてしまって、
それらの板挟みによって苦悩するケースが多々あります。。

相手も自分と同じく依存体質の傾向にある人間だったなら、
上手くいくのかもしれない。今の彼氏ともそんな感じかな…
遠距離恋愛にも関わらず、お互いに安心していられるのは、
相互の依存による束縛のバランスを上手に保てているから。
結局は、適度な距離が確立されているっていう事なのかな。

彼氏との主なコミュニケーション手段である携帯のメール交換では、
朝の「おはよう」メールから、夜の「おやすみ」メールまで、更に、
リアルタイムで、今からする事の報告や、出掛けたら「ただいま」、
ご飯を食べ終えたら「ご馳走様」、お風呂に入ったら「すっきり」、
お仕事が終わったら「お疲れ様」、などなど、超マメに連絡し合う
習慣だけは、最強のバカップル並みに植え付けられちゃっているよ。。
お互いに空いている時間には常にメールを交わしている状態だから…
これで近距離だったら、それこそバカップルもいいトコだったかも…

ちょっぴり話が逸れちゃったけど、私が思うには、
一人きりの時に孤独を感じる人と感じない人との大きな違いは、
「一人にされる」事と「一人になる」事との違いなのだと思う。
孤独という言い方をすると、自ら進んで一人になる事とは
違うような気がするから…そうではなく、「一人」になる事を
何らかの理由で本人の意志とは無関係に強いられた時に感じるもの
なのかもしれない。だから、孤独であるという事は、そこに、
前提として無意識のうちに依存心が潜在していて、それとは
反発して淋しさや辛苦の情に駆られてしまう事になるのかもしれない。
その点では、孤独と依存は、深い関わりがあるのだと言えるだろう。

本当は、一人でも大丈夫なようになりたいと、いつも願っているよ。
一人で居られない時の孤独な気持ちは、とても耐え難いものだから…
どうして、自分はこんなにも依存心が強いのだろうと嘆いてしまう。
もっと強い自立心を養えたなら、もう孤独に怯えて縮こまる事もなく、
もっと色々な事に挑戦できて世界が広がっていくような気がするよ。
自分一人の世界というものは、狭いように思えて、際限ない可能性を
秘めている。時には、依存から解き放たれなければならない時もある。
それこそが、真の自分らしさを発揮できる瞬間なのかもしれないね。

常に他人本位で生きてきた私には、
孤独に対する恐怖が弱点となっていたよ。
一人ぼっちでは、何の意味も持たないと、
勝手に信じ込んで生きてきたから…

でも、個体としての本当の強さは、
誰かを必要としたり、誰かに必要とされたり、
そのような相互間の依存関係とは
全く別のところで養われていくのかもしれない。
もはや、そこでは、孤独を感じる余地もない。

相互に支え合って生きていく事も大切だけど、
それだけでは、人生を生き抜く事はできない。

そして、そのような強さを持ち合わしている人間たちは、
自ずと他人とは排他的に自分の存在意義を見出せるんだ。

いつか、私も、そのような輝きを放てるようになりたい…




m a i l



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