♡努力♡ |
2005年03月06日(日) |
私は、昔から粘り強い性格でした。 決して天才的な才能は持ち合わせていなかったけれど、 その代わり、持ち前の粘り強い精神で埋め合わせていました。 だから、私の中では「何事も努力で補う事ができる。」という仮説が 自ら保証済みの確定的な事実として存在していました。
ふと、テレビでマラソン競技が行われていて、 ぼぉ〜っと眺めていたら、過去の自分が頭に浮かんできました。 私は、小さい頃から鈍臭くて運動神経がゼロだったけれど、 長距離のマラソンだけは得意でした。本当は大嫌いだったけど… 陸上競技の中でも、マラソン競技は特別のように感じます。 小学生の頃の話だから、競技と呼べるほどのものでもないけれど。 当時は、マラソンなんて、全身の筋力が成せる技というよりも、 「持久走」という名の通り、長距離&長時間における忍耐力を試す スポーツだと思っていました。だから、全身疲労に伴う苦しみに 打ち勝つ強ささえあれば誰でも好成績を修められると信じていました。
そう思うと、努力って、なんて孤独で地道で過酷な試練なんだろう。。 生得的な能力と較べると、はるかに多くの苦労を要するものだから… それでも、容易ではないにしても、努力に費やした分だけ、 結果に反映されるのだと思うと、頑張らずにはいられない性格でした。 努力に耐え抜く事ができるほどの粘り強さが備わっていたみたいです。
そんな、努力をする事しか能のない生真面目な私に限って、 持続力を失わせてしまうような病気に掛かってしまうなんて… やっぱり酷使しすぎていたからなのかな… もうこれ以上、頑張らなくても良いよって。 でもね、早すぎだよ。まだまだこれからっていう時期だったのに。
努力ってね、目標に向かって頑張っている時期が全盛期で、 少しでもブランクが空いてしまえば、何の意味も持たないんだよ。 あれ??って思うほど、すっからかんになってしまうの。 努力は、継続する事に意義のあるものだから… マラソンだって、途中で諦めてしまえば、ゴールに辿り着く事はない。
努力によって残される財産は、ほんのわずかなものでしかない。 才能とは違って、もともと存在するものではないから、 努力による生産物の全てが、先天的な能力に結び付くとは限らない。 中途半端に残された財産は、不完全な能力であるがために、 時に、絶望と葛藤をもたらす原因となる事もあるだろう。
私にとっての、ピアノという存在… 全盛期だった、あの頃、病気にならなければ、 今でも弾き続けていたのに。 当時の記憶は、全くそのまま残っているのに、 今では、もうメロディーに仕上げる事ができない。 弾けば弾くほど、そのギャップに苦しむ事になるから、 目を背けて遠ざかっていく事しかできなくなる。
ピアノだけじゃないよ。 あの頃の私にあって、今の私にないもの、全てだよ。
全盛期にプツンと途切れてしまった能力は、 大きな葛藤に虐げられ、もう二度と目を覚ます事はないだろう。 もう生きていく自信をなくしてしまったから。 もう生きていく居場所を失ってしまったから。 ただ、過去の美しい栄光だけが、儚くも記憶の中で輝き続けている。
今の私にできる事は、 新たな自分を築いていくしかない。
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