♡卒論&卒業♡ |
2003年10月04日(土) |
私は、2000年8月31日・大学二年生の夏休みに入院し、翌年2001年9月1日・大学三年生の夏休みに退院しました。そして現在は、実質大学五年生の夏休みを終え、今週から後期の授業に入りました。大学二年生の前期の授業は全て通年の必修・専攻科目であり、その後期は入院のために休学をしていたので、大学二年生の授業は、前期の試験で病気と闘いながらも良い成績を修めたにも関わらず、全て再履修となりました。その挫折感を乗り越えて、大学三年生の後期から大学へ復学をしたけれど、後期からの途中復学だったので、通年の必修・専攻科目を受ける事ができず、選択科目だけを履修しました。退院してからたった1ヵ月後の授業再開だったので、いきなり必修・専攻科目を受けるのはハードだろうと思い、ちょうど選択科目でぼちぼち頑張って大学生活のペースを取り戻していくには良かったと思います。
大学四年生になり、ようやく入院前の大学二年生の必修・専攻科目の授業を受けるための機会を得ました。丸二年間のブランクを抱えて、二つ年下の学生たちと一緒に授業を受けました。大学二年度の前期の授業は再履修だったので、授業を受けていくうちに「そういえば二年前にそんな内容を習ったなぁ。」と懐かしく思い出す事ばかりでした。時間は余分にかかったけれど、一種の復習のようなものだったので、二度目の前期試験も確実に点を取る事ができました。そのうち一科目は満点でした。二年前はいい点数を取れたのに、二回目はダメだったなぁだなんて先生に思われたくなかったので、必死に頑張りました。大学二年度の後期の授業内容も、実は入院中に独学をしていたので、直接は先生に教わっていなくても、入院中にベッドの上で一人で頑張って予習をした内容とだいたい重なっていたので、そんなに難なく授業を受ける事ができ、後期試験も満足のいく点数を取る事ができ、大学四年生にして、大学二年度の必修・専攻科目を全て優で単位取得できました。
そして現在、私は大学五年生です。友達はみんな無事に今年卒業をしました。私は相変わらず二つ年下の学生たちに混じって、大学三・四年度の授業を履修しています。休学していた一年間を除くと、今年の大学五年生の一年間でちょうど丸四年間の大学生活を送る事になります。すると、大学四年目というのは、本来ならば順調にいけば、(留学などを除くと)必要最低限の授業は全て履修し終えていて、あとは就職活動と卒業論文の作成だけとなるはずです。それで時間が余っていれば自由に好きな授業を受けるというのが理想的だと思います。でも私の場合は、今年で大学四年目といっても、大学二年生の前期と大学三年生の後期が中途半端になってしまったために、大学生活四年目でも、大学三・四年度の必修・専攻科目の授業を受けなくてはなりません。
そして、問題の卒論&卒業は…一体いつできるのであろうか…。大学生活四年間できっかり終了させたいのであれば、現在から授業と並行して卒論の作成も行い、来年の三月で卒業をするのが理想的かもしれません。しかし…今年になって色々な出来事やストレスが重なり、去年までは順調だった病状も今年になって悪化し出し、抗体値もここ数ヶ月間、退院以来最悪の結果が出ています。もしもここで無理をして頑張り、来年の三月に卒業できたとしても、卒業後にその無理がたたって病状が悪化してしまったら元も子もないし、授業と卒論の二兎を追って一兎も得ずだったら、もう本当に遣り切れなくなってしまうので、病状が不安定な現在は、おとなしく今できる限りの事だけ、つまり授業を精一杯に頑張ろうと思い、今年は卒論を本格的に作成する事を断念しました。心に余裕がない事も一つの理由です。同級生の友達のみならず、一つ年下の学生たちにも卒業を追い越されてしまうのはとても辛いです。今後もまた取り残されたような孤独感を味わって生きていかなくちゃいけない…
これは私だけではなく、私の家族や友達やゼミの先生と共に決断した事です。一体この判断で正解だったのか…いまだに不安になる時があります。卒業が遅れている分、頑張ってできるだけ早く卒業をしたいというのが本望なんだけど、やっぱり病気を抱えているから無理だけは避けたいという気持ちもあるので、ゆっくり焦らずマイペースで頑張っていこうと決心しました。何よりも自分の体、自分自身が大事である事には変わりがありません。他人は他人、私は私…一度、敷かれたレールから逸脱してしまったからには、もう二度とそのレールには戻れないし、戻る必要もないと思います。これからは、私だけのオリジナルの道を歩んでいこう…人それぞれに異なっているから、世の中には様々な人生があるのだ(*'ー'*)♪私も自分だけの人生をしっかりと頑張って築いていかなくちゃ☆辛い事も苦しい事も全て乗り越えて、本当の幸せを掴むために…
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