**Secret**..miho
*ドクハラ...後編
2003年06月17日(火)
病院へ行こう。病院へ行って、この不可解な病魔の正体を明かして、それまで胸に秘めて一人で抱え込んできたものを今度こそ払拭させよう。とりあえず病名さえ分かれば、あとはその治療をしていけば治る事だから、とにかく病院へ行かなくちゃ始まらない。でも、いざ病院へ行っても、たった数分の診察だけで、この不可解な症状を全て理解してもらえるはずがないと思い、あらゆる症状を事細かく言って、おばあちゃんに文章に書いてもらいました。この文章を読んでもらえば、きっとお医者さんも頭にピンと病名が浮かんでくるかもしれない…病院へ行くと決めた以上は、徹底的に、この不可解な病魔を追跡し、闘っていく覚悟でいたからです。もはや、心身共に限界に達していたのです。

翌日、いよいよおばあちゃんの家の近所にある、中ぐらいの規模の総合病院へ行きました。初診だったので、どの科に行けばいいのか分からずに、とりあえずは一般的な内科へ行ってみました。計画通り、昨晩書いた文書を事前に医師に読んでもらうよう看護婦さんに渡しました。しばらくして、名前が呼ばれたので診察室に入ると、年老いたおじいさんの医師でした。私はそれまで、めったに病院なんていかないほど丈夫な体の持ち主だったので、医師との問診という慣れない経験に、とても緊張していました。緊張していたから余計に、顔面が引きつってきたり、うまくしゃべれなかったりしていました。「あのぉ…文書は読んでいただけたでしょうか?」と、一緒に付き添ってくれたおばあちゃんがその医師に尋ねると、その内容にはあまり触れる様子もなく、「一応、検査をしてみましょうか。」と言われ、その日の内に頚椎と脳のMRIと脳波の検査をして帰り、次回、結果を聞きに再び病院へ来る事になりました。

もちろん、MRIも脳波の検査もその時初めて受けた検査で、それまで受けてきた検査の中でも最も大掛かりな検査だったので、もしかしたらこれで分かるかもしれない!と、期待が胸で膨らみ、不安の塊だった気持ちも少しは軽くなりました。そうかと言って、症状は相変わらずひどいままで、一刻も早くその原因を突き止めたい気持ちで一杯でした。その時は、絶対に自分は何らかの病気にかかっているんだという確信が強かったので、必ずこの検査で病名が判明するという自信はたっぷりありました。こんなにもあからさまに症状が現れているんだから、検査で異常が見つからないはずがない!と、とても強気になっていました。それが一体どんな病気なのか、そこまで具体的には考える余地もなく、ただただ憎むべき不可解な病魔の正体を明かし、やっつけてやろうという事だけしか考えていませんでした。

待ちに待った検査報告の日に、私とおばあちゃんは再びその医師のもとへ行きました。一体どんな報告が待っているのか、ついに病魔との決着の日がやってきた事に、私の胸はとても高鳴っていました。しかし、そのお年寄りの医師は平然とした顔で、私の脳波の結果が印刷された用紙の束を一枚ずつめくり、私のMRIの写真を眺めていました。そして一言、「なぁ〜んの異常もありません。問題ないです。気のせいでしょう。」私はその予想外の一言にカチッときて、そんなはずはありません!と言い返したい気持ちで一杯になりました。しかし、あまりにもショックだったので、頭の中が真っ白になり、言葉にならないほど声が詰まりました。隣にいたおばあちゃんは、「あらぁ、そうですかぁ。」と、ほっとしたように苦笑いをしていました。私のまったくの思い違いだったのよ、と言わんばかりに「何も異常がなくて良かったわねぇ。」と、私に笑いかけていました。

私は思わず「だったら、文書に書いたような症状は一体何ですか?!」と、思い切って尋ねてみたら、その医師は「あははははぁ〜。私だって疲れたら両腕が上がらなくなりますよぉ〜。」と…笑いやがった!!それはあんたがお年寄りのおじいさんだからでしょ?!と…言い返してやりたかったけれど、あまりの屈辱感で何も言えませんでした。おばあちゃんも、医師からそのような冗談まで言われ、一緒になって笑い、その日の診察は何事もなく終わりました。会計を待っている間、おばあちゃんは、「異常がなくて良かったねぇ、良かったねぇ。」と、私を慰めてくれました。「異常がない事が分かって、これですっきりしたでしょう?病院へ来た甲斐があったわねぇ。」と…おばあちゃんにとっては、それは心からの純粋な慰めの言葉だったかもしれないけれど、私にとってはとても悲しい悲しい言葉でした。そんなはずはないんだ…今回の外来で、納得してすっきりするどころか、ますます余計に不可解な病魔の存在は私の中で大きくなってしまいました。

そして、さらに衝撃の一言が…検査と診察の請求書を受け取ったおばあちゃんが、その額の多さに驚いて「ばかばかしい…」と、つぶやいたのです。よく考えてみれば、そう言うのも当然かもしれない。MRIや脳波なんて高級な検査をしても、結果は何ともなかったんだから…人騒がせな上に、お金まで掛かってしまって…私は居ても立ってもいられない気持ちになりました。私は、この不可解な病魔に取り付かれて、自らも疫病神になってしまったんだ…。それ以来、もう、そんな自分を愛する事さえできなくなりました。そんな自分なんて大嫌いになりました。今後、私にできる事と言ったら、この自己の中に潜んでいる疫病神と闘っていく事…決して負けない事…たとえ、その疫病神がどんなにこの私を痛めつけてこようとも、負けてはいけない。その正体は病気ではなかったのだから、医学では治せないんだ…ましてや、自分以外の他人にも理解さえしてもらえない存在なんだから、一人で闘い抜くしかない…そう心に誓って、私の孤独な闘いは始まっていきました。

今思えば、その医師は、はっきり言ってヤブ医者だったと思います。そして、その医師が放った言葉は、心を病んでいる病人に対して言う言葉ではなかったと思います。もちろん、特にこの病気は早期発見がなかなか難しく、神経内科なんてあまり知られていない科にたどり着くまでに、どうしても遠回りになってしまうものです。専門医ではないとなかなか分からない病気もあるけれど、医師である以上はもっと視野を広げて、病人に対して親身になって接していってもらいたいものです。病院を訪れる人たちの大部分は、自分で抱え切れなくなった病を治してもらいたいという願望を持って、医師に救いを求めて来ているわけなのだから、ほんの少数の検査だけで判断せずに、もっと慎重に臨床結果を考慮していくなどして、患者が納得のいくまで病名の追求をしていってほしいです。笑うなんてもってのほか。当時、私はまだおこちゃまに見られていたから、もっと自ら積極的に主張していけたら良かったのかもしれない。私の場合は、最高に遠い遠回りをしてしまったんだなぁ…それから半年後、最終的に今の主治医と出会った時にはもう、手遅れ寸前だったから…。




m a i l



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