というワケで相変わらずのクシャミ鼻水。 裁判員制度というモノが始まったそうである。ちっとも知らんかった。テレビも新聞も目にしないとこういう事に疎くなるがまあ仕方が無い。そういう国民もおるのだ。社会の多様性と言うモノである。文句あるか。
というワケで慌てて少し、文字通り少しだけ上っ面を撫でる程度に調べてみたのだが、大丈夫かね。これ。まず「国民主権を司法に実現する」と言うお題目だがじゃあ今まではいったいどこの誰が主権を握っておったのだ。それの何をどう国民に委ねると何がどう改善されるのだ。全くわからん。例えば民主党の小沢氏への度重なる説明責任追及などと言う事を考えると被疑者イコールもう悪い人と思ってるヤツが少なくないような気がしてしまうのだが。しかもその中に小沢氏に説明責任がある事を公の場で確たる根拠を元に自分の言葉でキチンと主張できるヤツがどれくらい居るのだろうか。え〜だってみんながそう言うから〜みたいな、とか答えるヤツが大半のような気がするのだが。みんなってのはどこの誰だ。馬鹿。誰かが何かを言うと私も同意見です、とかね。議論を好まず目立たず出る釘にならず付和雷同を美徳と言い張っても全く違和感の無い日本社会の住民にそれが出来るのかと思ってしまうワケでありますよ。
さらにはどうも量刑にまで口出しできそうな気配なんですが、ホントにそうなんでしょうか。過去の判例優先と言う事についてはワシも賛成ばかりしておられんがどういう量刑が相応しいかまたそれは何故なのか何のためなのかを状況を正しく理解して決断できるモノなのだろうか一般国民に。判例にしろ法にしろ参加する側にとっては普段あまり馴染みのないモノである。中にはそう言う事に興味を持って調査研究を行っている人もいるのであろうが選挙人名簿に載せる対象かどうかを決めるための選択基準にそういった要件は反映されていないワケで平均すりゃ侘しいモンであろう。ワシも含めたそういう連中に対し裁判官検事弁護士などと言うのはプロ中のプロでありまあプロと呼べるのはそういう職業の人たちだけだから当たり前なのだがそういうプロがワシらの目先をちょいと変えるような微妙な発言をした場合にそれに影響されずにいられるモノなのだろうか。主張しないと言うのが日本人の特性だが権威に弱いと言うのもまた特性である。心理的に大きくブレた直後に果たして公平な判断が出来るモノかどうか。ワシには自信がないけどね。実際、模擬裁判ではずいぶんとバラツキが出た様だしね。そういう現状を見ると、判決に対する不満があった時にその矛先をどこに向けたらいいのかわからん事にもなりそうな。あ。まさか冤罪時の責任逃れじゃあないよね。(笑)
考えてみるとひとつだけ良い事があるのかも知らん。こういうくその様な制度があるうちはヤバイ真似は止めておきましょうかね、と言う抑止力になるかも知れない、という点である。悪に対しては厳しくあるべきと言う意識のない人は少なかろう。その中で思いは被害者の心情と犯罪者の更正のみであり社会的な見せしめ的意味合いを全く思い浮かべずに冷静に判断できると言う人もまた少ないのではないのだろうか。町の真ん中の広場に縛り首様の縄がいつもぶらさがっていると言う西部劇のセットが思い浮かんでしまったりするのであるがワシの考えすぎなのでありましょうかね。だったらいいんですが。
書きたい事はまだまだあるのだがワシかこんな所に書いても何の影響も無いので面倒臭いから止めておくがまあ始まってしまったモノは仕方が無い。早いトコ終わりにしてくれるのを祈るばかりである。とは言え、もしかしたらこの制度で司法に国民の意思を反映する事は出来るのかも知らん。でもそういう制度を作るかどうかに国民の意思を反映させる事が出来る日はまだ遠い様であります。ワシにはソッチのほうが魅力的なのですが。
追記。1237時ヒメアリ2匹発見。アリメツ設置後1時間で8匹。今年も始まったらしい・・・
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