ただいま - 2004年05月06日(木) GWを利用した東南アジア旅行から無事帰国しました。 バンコク、アンコール遺跡群、プノンペン、ホーチミンシティを約一週間で駆け抜ける強行軍でしたが、楽しい旅行でした。 最初に訪れた国であるタイの首都バンコクにおいては、二年振り二度目の訪問であることから、観光については可能なかぎり絞込み、旅の基点として活用することとしました。今回、各国を行き来しているため、タイには合計で三回入出国しています。 限られた時間の中でしたが、王宮周辺の散策、二年前は補修中のため拝仏することがかなわなかったワット・ポーにおける涅槃仏など、懐かしくも、リラックスした時間を過ごすことが出来ました。 現在のタイは絶大な支持を持つ王室、極めて安定した政治状態、強力な軍事力に加えて、97年に起こった通貨危機を克服して絶好調の経済状態も後押しし、非常に安定しています。 一方で、安定について悪党苦戦してきたのが二番目に訪れた国であるカンボジアです。 古くはクメール時代よりシャム王朝(タイ)、ベトナムの二強国に挟まれた小国として常に苦しい国家運営を迫られてきた国でした。 近年においても第二次大戦後に突入した内戦、ポル・ポト政権による100万人とも言われる大虐殺、新たな内戦及びそれに伴うベトナム軍の介入と、まさに苦難の道を歩んできた国でありました。 それでも、風向きが変わるときはある。87年、内戦の当事者であったシアヌーク・フンセン会談を皮切りに、91年のパリ和平協定、92年〜93年に行なわれたUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の活動、93年の制憲議会選挙を経て、同年9月に現在につながるカンボジア王国が成立しています。 その後、98年、二度目の総選挙を経て、現在に至るシアヌーク国王・フンセン首相体制が確立しています。引き続きこの二人がカンボジアを引っ張っていることになります。 カンボジアについては、残念ながら今なお治安については良好とは言えないでしょう。 首都プノンペン特別市及びアンコール遺跡群の存するシェムリアップ州において「十分注意して下さい」、その他の地域においては「渡航の是非を検討して下さい」の情報が現在においても引き続き外務省より発遺されています。 それでも、最大の懸案だったポルポトが98年に死亡し、同派が実質的に解体したこと、経済状況の安定化に伴い、治安の情勢は劇的に回復しつつあるのは確かです。 クメール王国の黄金時代に12世紀〜13世紀に造営されたアンコール・ワット他の遺跡群は荘厳の一言でした。機会があれば、是非訪れることをお勧めします。上記では散々危険と記しましたが、日本を含め海外から訪れる観光客も極めて多く、少なくともツアー観光であれば問題はほとんど無いでしょう。 なお、UNTACの代表としてカンボジアの復興に尽力した日本人として、明石康氏がおられます。また、当時、国連ボランティアとして中田厚仁氏、文民警察官として高田晴行氏がUNTAC参加中、亡くなられています。ご冥福をお祈り申し上げます。 最後に訪れたベトナムについては、後日追記します(寝る時間がなくなりそうなので…スンマセン)。 おかげさまで、特に事故も無く、また怪我、疾病をこうむることも無く無事帰ることが出来ました。 バックパッカーとして各地を放浪してきましたが、下調べをしたのは今回が初めてかもしれません。今までは、それでもそれなりに何とかなっていました。 しかし省みるとそれは、自分で何とかしていたのでではなく、たまたま運が良かった、ラッキーだっただけ。なのでしょうね。 大量のメモと、写真を撮ってきました。順次、逆日付で遡及アップして行こうと思っています。ご覧頂ければ幸いです(でもまだ何も在りませんよ!) 短い夢の時は昨日で終わり、今日から普段の日常へ戻ります。 通常日記についても、再開します。倍旧のご愛顧を頂ければ嬉しく思います。 引き続き、よろしくお願い申し上げます。 泰太 拝 ...
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