Sun Set Days
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2004年08月17日(火) |
The storm is over now |
最近は外食続き。12人参加で後輩の誕生会をしたり、ナンがおいしい本格的なカレー屋に行ったり、パスタを食べたり。 おいしいし、話も弾むのでいいのだけれど、そういう日々が続くと部屋でのんびりしたいなと思ったりするのだからないものねだりだと思う。すべてがバランスよく進むことなんて有り難いというのに、バランスをとりたいという欲求がどこからかもたげてくるのだ。 そして、バランスをとりたいなどと思ってしまうのは、意外と疲れているときだったりする。あるいは、自分でそれほど自覚していないにしてもくたびれているときとか。 バランスが取れている状態というのは、大概の場合言い換えれば波風の少ない凪のような状態を指しているような気がする。気持ちや感情や環境が安定して、過不足がないような状態とでも言えばいいのか。そういった状態を欲するときというのは得てしてそうじゃない場合が多くて、それは何らかの波風があったり負担があったりするときなのだ。 いまは何らかの負担があるのだろうか? と自分で考えてみる。 もちろん、ある種の負担はいつだってあるし、それは逆にそれなりのプレッシャーとなって頑張る力にも繋がってくるものなのだけれど、気がつくと結構じわりとボディブローのように効いてくるものなのかもしれない。そして、それは自分で思っているよりもずっと何かを消耗させていて、膝を地面につかせようとしているのかもしれない。
けれども、基本的には僕は元気だ。元々が単純な性格なので、ある種のボディブローを打たれていても、たぶんそれほど効いていないように思っている。それがなかなかにハードなパンチで突然倒れてしまうことがあったとしても、何があったのかわからずに「?」と不思議がるような気がする。
もちろん、いつだって常に元気でいられるのは難しいことなのかもしれない。だからこそ、ときどきはゆっくりと自分の胸に手を当てて、いろいろなことを振り返ることが必要なのかもしれない。振り返ること。様々なベクトルをちゃんとたしかめること。あるいは、わかれみちの前に立つたびに、コンパスがどちらを指しているのかをちゃんと確認すること。
もし自分が見知らぬ国を旅する旅人で、地図もなくコンパスしかないのであれば、わかれみちに立つたびに食い入るようにコンパスを覗き込むことだろう。どちらが北で、どちらが南なのかをしっかりと確認するだろう。そういった部分に慎重にならないことは、ある種の死活問題にさえなりうる。 けれども、日々の中で、多くのわかれみちはきっとあるはずなのに、そのときに自分の中にあるコンパスをしっかりと覗き込むようなことをしているだろうか? そう考えてみる。コンパスというのはもちろん比喩的なものだ。比喩としてのコンパス。そして日々の中で訪れるいくつものわかれみち。 人生がひとつの大きな旅のようなものであり、それならば日々を生きていくことは旅をすることに似ているのであれば、様々なわかれみちのたびにコンパスを取り出さなければならないだろう。それだってやっぱりある種の死活問題だ。コンパスの針の指している方角と、自分が目指そうとしている方角が、合致しているのか角度があるのかないのか、そういったことをちゃんとたしかめなくてはならない。
たしかめること。コンパスを見つめること。そして、まずは一歩足を踏み出すこと。 そうしないことには、次にコンパスを覗くタイミングすらおとずれないわけだし。
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お知らせ
来月は遅い夏休み(けれども飛び石連休)があるので、長編小説『Wonderful World』に目処をつける予定です。
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