Sun Set Days
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新しいTop写真は、祖母の住んでいる小さな町の石浜で写したものだ。 その町は小樽市にあって、その日祖母の家に行く約束になっていた僕は、午後から列車に乗ってその町を目指した。 いままで何度も降りた駅で改札口を抜ける。以前は駅員が立っていたものが、いつの間にか自動改札機に変わっていて戸惑ってしまう。 時計を見ると、到着の時間より少し早かった。それで、祖母の家に行く前にちょっと石浜に寄っていくことにした。 その町は駅を出て左に進むと石浜、右に進むと砂浜の海水浴場があるという便利なところで、夏になるといつも海水浴客で賑わっていた。
駅から石浜まではほんの少し歩く。 海岸近くの道路を歩いていくと、やがてカーブにさしかかり、これ以上は前には進めないと思えるようなところに出る。けれどもそこは実際には行き止まりではなく、海岸沿いを走る線路と平行に、すれ違うのがやっとというくらいの狭い路地が実は続いているのだ。その路地をしばらく進んでいくと海と線路の間に漁業関連の建物がいくつか続き、それを超えると石浜がふいに開ける。地元の人じゃないとなかなか進んでみようと思わないような狭い路地だ。
かつての夏と同じように、その路地をもくもくと進んでいった。ほとんど人が通らないせいか、雪が結構積もっていた。 前にも後ろにも、誰もいなかった。 そして、しばらく進むとようやく石浜に降りることができた。
石浜では波を受ける部分の雪が溶け、波の届かない部分にはまだ雪が残っていた。幾重にも緩やかな弧を描く海岸線が冷たい波に繰り返し打たれている姿が見える。テトラポットが海面に鉛色の影を落とし、波はどこまでも鈍く輝いている。風はそれほどなく、雲は季節の訪れのようにゆっくりとその石浜上空を覆おうとしていた。
僕は肩掛けカバン(散歩の定番)からデジタルカメラを取り出して、何枚か写真を撮った。海の方を見て一枚、緩やかに続く海岸線を一枚、空を一枚、波打ち際を一枚、というように。ぱちりぱちりと。その間に、海岸沿いの線路を列車が近づいては遠ざかっていった。
写真を撮り終えた後、その場で少しぼんやりと海を見ていた。かつてこの石浜で泳いでいたことなんかを思い出していた。ヒトデがやけにたくさん岩に張り付いていたことや、途中から急に海が深くなっていたこと。多くの人がウニを捕っていたこと(もちろん密漁)。石浜のところどころに石の竈ができあがっていて、そこでウニを焼いたり、生のまま石に叩き付けて食べたりしていたこと。僕はウニが嫌いなのでいつもそれを見ていただけなのだけれど、食べている人は捕ったばかりのウニをそのまま食べるなんて最高! というようなことをよく言っていた。嬉しそうに。おいしいおいしい言いながら。 僕はと言えば、あんなものよく食べれるよなーと、子供心にも思っていた。いまも思っている。ウニを嫌いなんて信じられないと、いままでの人生で何度言われたことか(ちなみに、「お酒を飲めないなんて人生の楽しみを知らないのね」とはもっと言われている)。
結局、寒くなってきてその場を離れるまで、石浜を少し歩いてみたのだった。
写真の石浜は、夏になるとたくさんの海水浴客で溢れる。冬の午後には、そんなことはとても信じられないような静寂。
考えてみると、子供の頃、冬にはこの石浜を訪れたことがなかった。本来訪れる季節以外に訪れたりすることは、もしかしたら自分が年をとったということなのかもしれないと思った。同じ場所の反対側の季節の中にも、ある種の魅力のようなものはあるのだということを少しは感じ取ることができるようになったのかもしれないし。
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