Sun Set Days
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彼女の名前は、フランソワーズ・ドルレアック。昨年の6月26日、ニースの空港に向かう途中、交通事故でこの世を去った。映画ファンにとって、それは、これからスターになろうとしていた25歳の美しい女優の生命を一瞬にして奪ってしまった痛ましく残酷な事故であった。仕事の面でフランソワーズ・ドルレアックを個人的に知っていた人々にとって、彼女は何よりもまず人間としてめったにめぐり逢えない女性だった。彼女と1時間いっしょに話した人なら、誰もが、その人間的な魅力、女らしさ、知性、品位、信じられないくらいの精神力に心うたれ、忘れ難い印象を持っているにちがいない。 海草のような、あるいはグレイハウンド犬のような、現実ばなれしたきゃしゃな体格に似つかわしくないほどの芯の強さ、ときには頑固さを持った個性的な人であった。(……)彼女は10代から毎日、朝晩、冷水のシャワーを浴びる習慣を身につけていた。「だって、20歳になったら、40歳の準備をしなければならないから」と彼女は言っていたものだ。早くさまざまな役をやりたがり、たくさんの映画に出たくて、まるで生き急ぐかのように、待ちきれずにいたのである。(……)そして、6年ごとにいっしょに映画を撮ろうと話した。次は1970年に、ついで1976年に、それから1982年に……といったぐあいに。彼女に手紙を書くとき、わたしは、ボビー・ラボワントのシャンソンの文句(「フランソワーズが本名なのに/フランボワーズと人はよぶ……」)をモジって、「フランボワーズ・ドルレアック様」と書いた。きっと彼女は微笑みながら手紙を読んでくれるだろうとわたしは信じた。 フランソワーズ・ドルレアックは、妥協をゆるさぬ徹底したモラリストだった。彼女のいくつかのインタビューを読むと、人生と愛についての厳しい警句に満ちていることにおどろかされる。彼女は自分の嫌いな人間には唐突に遠慮のない厳しい視線を向けた。率直であるとはいえ、わがままであることも否めなかった。彼女はまだ人生に徹底的に打ちのめされた経験がなく、他人に対する寛容を知らなかった。 しかし、これからは人間的に大きく成長して、微笑から笑い声へ、そしておおらかな哄笑へと高まっていくはずだった。しかし、1967年6月26日、すべての笑いは封じられ、彼女の人生のすべてが突如、永遠に閉ざされてしまったのである。(『トリュフォーによるトリュフォー』87-88ページ)
僕は映画監督としてのフランソワ・トリュフォーが本当に好きなのだけれど、それと同じくらい、文章家としてのトリュフォーにも惹かれている。その簡潔さと、ユーモアと、あるいは真摯さと(誠実さ)、そしてときに優しく感情的な文章に、繰り返して読むたびに帰省でもして懐かしい部屋に帰ってきたような気持ちになる。学生時代、卒業論文をトリュフォーで書いたこともあって、僕はトリュフォーの書いた文章をたくさん読んできた。そして、読むたびにいつまでもこの文章の中に、あるいはトリュフォーのまなざしを通じた世界に浸っていたいと思ったものだった(もちろん、それはトリュフォーの友人でもあり訳者でもある山田宏一氏の訳文によるところも大きかったとは思うのだけれど)。
たとえば、最初に少し長く引用したフランソワーズ・ドルレアックについて書かれた文章からは、彼女の気質のようなものが浮かび上がって感じられるように思う。僕はトリュフォーの映画『柔らかい肌』での彼女しか見たことはないのだけれど、そのときの記憶と本書にも残されている写真を通じて、トリュフォーの文章が彼女の根本的なものをうまく掴まえているように思えるのだ。たとえば、誰かについての文章を書く場合、細々とした細部はそれほど必要ではないのではないかと思うときがある。頭の上からつま先までの細部をなぞるよりも、その根本的な中核になる部分を簡潔で的確な言葉で選び取ることによって、しっかりと餌のついた針を飲み込んでしまった魚がもう逃げられないように、どういう描写をしようとその人本人をしっかりと掴まえてしまうことができるのではないかと思うのだ。そして、映画監督という職業柄なのか、それとも、人を見極める力に優れているからなのか、トリュフォーはそういうのがものすごくうまい。映像でもそれを撮るし、文章でもそれを表現する。そのまなざしは穏やかで、ある種の包容力のようなものを持っている。けれども、どこかドライな面も垣間見えて、そういうところにひどく惹かれるのだ。人生というものを正しい重さで(もしそういうものがあるのだとしたら)把握していて、けれどもだからこそ感情が重要であることを充分すぎるほど理解している人物であるように思えるのだ。
それはトリュフォーの撮ってきた作品『突然、炎のごとく』『恋のエチュード』『アデルの恋の物語』『隣の女』などに確実に現れている。世界を自分の見たいようにしか見ることができない人がどちらかというと多いかもしれない中で、トリュフォーの目には世界は世界として見えていたのだと思う。楽しいことも、そうではないことも、きれいなものも、汚いものも、トリュフォーはすべてを等距離で見ることができていて、だからこそ重要だと彼が信じるものを世界から切り取って繋いでいったのだ。映像として、あるいはそれよりは少ないけれど文章として、世界を編集していったのだ。そしてそれは、優れた芸術家に求められる特徴のひとつなのだろうし。 トリュフォーはこうも言っている。
「私生活は誰の場合もぎくしゃくしている。映画のほうがずっと調和のとれた世界だ。映画はよどみなく進む。映画には死んだ時間がない。映画は列車のようなものだ。ノン・ストップで疾走する夜行列車のようなものだ」(『トリュフォーによるトリュフォー』141ページ)
そういう夜行列車を走らせるためには、何がぎくしゃくしているのかを理解し、線路の上に置かれているぎくしゃくの原因である石を取り除かなければならない。そして、主題をより明確にする方向に線路を敷いていかなければならない。 物語を産み出すのが世界を編集することであるのなら、それは捨て去るものと残すものを選別することと同義になるし、それを行うことのできる目と手を持っていなくてはならない。そして残したものに関しても、どのように残すのかに自分なりの考えを持ち、理解していないければならない。トリュフォーにはトリュフォーの路線を作る力があったと思う。そして、その線路はたいていの場合淀みなく続き、その線路を走る夜行列車は、猛スピードで乗客たちを目的地まで運び出していった……。 トリュフォーはたくさんの映画を観て、たくさんの本を読んだ。そして自ら撮り、自ら書いた。それらの密接な繋がりのなかに、関連性のなかに、トリュフォーという人物が浮かび上がってくる。そのトリュフォーのすべての側面に個人的にはかなり惹かれている。だからこそ、好きな作家は? と尋ねられたときにも村上春樹やアーヴィングや江國香織を挙げた後に、もし好きな文章を書く人も付け加えてもいいのであれば……と前置きをした上で、トリュフォーを加えてしまうのだろうとは思う。
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人生にとって想像力はたぶんとても大切なもので、僕はずっとその力のようなものを信じている。もちろん、物事にはバランスが重要だとも考えているので、一日中想像の世界に入り込むようなことはしないのだけれど、それでも想像の世界に身を委ねるような時間はなくしたくないとは思う。現実的であることと、想像的であることはどちらもとても魅力的なことで、限られた時間のなかで、その線引きの場所を、しっかりと見極めてバランスをとっていくことができたらなとは割と切実に思っている。
想像力というのはたとえば、部屋でコーヒーを飲むようなときに、コーヒー豆のことを考えるということだ。 このコーヒーの豆を砕いた粉は、ある南米の国で作られたもので、運命的な出会いをした夫婦の経営する農園で作られたものだと考えてみる。たとえば、男は大きな農園の息子で、女はその農園で働く農園長の娘で、2人は身分を越えて激しい恋に落ちる。本来であれば莫大な財産を引き継ぐことができた男はけれどもそれをすべて捨て、雷の鳴る嵐の夜に女とともに旅立つ。そして、荒涼とした、本来であればコーヒーなど育成することのできないような土地にたどり着く。そこで、2人は協力し、また新種のコーヒーを研究している男と知り合いになり、無口だけれどしっかりと仕事をする相棒を得て、子供が産まれ、嵐の年と豊作の年を経て、やがては父親の農園をもしのぐような規模のコーヒー農園を作り出すようになる。そして、この豆はその農園で作られたものなのだとか考えてみるのだ。頑張ったなボビーとキャシーとか勝手に名前をつけたりもして。
いつもいつもそういうことを考えているわけではないけれど、たまに休日にのんびりとコーヒーを飲んだりするようなときには、そういうことをぼんやりと想像していたりする。
あるいは、ぼんやりとベッドに座って、あるいは横になって、昔歩いたことのある町のことを頭の中で思い出して、当時の出来事に思いをめぐらせることもある。そんなときには、調子がよければいまその町を訪れたらどんな感じだろうとイメージすることができたりもする。天気はどうだろう? とか、どんな人とすれ違うのだろう? とか、にぎわっているのだろうか? とかそういうことを考える。想像の中で、町はかつてのままの姿を留め、また次の瞬間には他の町と一緒になってみたりもする。想像の中では、ものすごく都合のよい、いいとこどりのような町が出来上がっていて、想像の中で僕はその町を散歩してみる。 実際の散歩も楽しいけれど、そういう散歩もそれはそれで楽しい。
現実的でありたいとはいつも思う(そしてまあ、たぶん現実的なほうだと思う)。けれどもいろいろなことを想像することは忘れたくない。そしてそういうのはきっとどちらかを捨てなければならないというものでもきっとなくて、割合融通が利くことなのだろうなと、共存することができるものなのだろうなと、結構楽観的に考えている。
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お知らせ
トリュフォーの作品はいくつかがDVDにもなっています。
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