Sun Set Days
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2002年10月10日(木) 冬を越す支度がいらない街で+『雨天炎天』+レシート

 たとえば昔、冬が訪れる前には、いくつかの準備が必要だった。
 暖炉に使う薪を用意してはきちんと積み重ねておかなければならなかったし、日持ちのする食料をしまいこんでおかなければならなかった。あるいは地域によっては、冬になると何ヶ月も外界と遮断されることだってあっただろうし、そうであれば秋のうちに、近くの街まで出ていろいろな用事を終わらせておかなければならなかったかもしれない。季節に寄り添う(あるいは立ち向かう)ためには、やらなくてはいけないことがいくつもあったのだ。

 けれども、いまはたぶんあまりそうじゃない。もちろん、防寒着は用意しなければならない(けれどもそれは実用性ばかりでなくデザイン性も求められていることが少なくない)。厚着だってしなければならないだろう。けれども、薪はきっといらないし、食料は毎日のように様々な店舗で、ともすれば季節にこだわらないような品揃えでさえ手に入れることができる。冬になると外界と遮断されるような町は、(もしかしたらまだあるのかもしれないけれど)日本にはほとんどないんじゃないかと思う。

 たとえばそういう冬を迎えるための準備をやらなくてもよくなっていくことで、冬についての嗅覚のようなものは少しずつ弱められたり損なわれたりするのだろうか? 冬をただ冬としてリアルに体感することが、少しずつ難しいものになってしまっているのだろうか?

 ただ、季節を感じるために必要な条件は何なのだろうと考えたときに、それはたぶんひとつじゃないのだろうなと思う。たとえば、気温、これはわかりやすい指標のひとつだけれど、それひとつで季節を感じることはできない。あるいは天気、それだってもちろん季節特有の特徴のようなものを有している。けれども、それだけではやっぱり何かが足りない。あるいは、季節の行事のようなもの、これはかなりわかりやすいと言える。けれどもやっぱりそれだけじゃない。雪が降る中の七夕の笹を見ても、季節を感じることはできないだろうし。
 つまり、季節をちゃんと感じるためには、いくつもの状況が重なることが必要なんじゃないかと思うのだ。気温と天気と行事、あるいは着ているものや、使っているもの、夜の星座、夜明けの時間の変化、そういったたくさんのものがゆっくりと(けれども確実に)季節の存在や変化を感じさせていくのだと思う。

 それは楽団の奏でる音楽に似ているのかもしれない。ヴァイオリンだけでも旋律を追うことはできるかもしれないけれど、何かが足りないような気がする。けれどもそこにヴィオラやチェロ、コントラバス、そしてオーボエなどが加わっていくことによって、深みのある楽曲を堪能することができる。それと同じように、季節もそれを構成する様々な要素がそれぞれの形でたち現れてくることによって、その微細な変化を感じ取ることができるようになり、体感することができるようになるのだ。

 けれども、だからこそ、冬を感じるために必要な要素のひとつである「冬を迎える準備」が少しずつ(けれども確実に)失われていくことは、ヴィオラの欠けた交響楽団のようなものなのかもしれないのだ。あるいはコントラバスのいない楽団のような。傍目にはよくわからなくて、けれどもしっかりと集中したらその変化に気付かないわけにはいかない変化は確かにあるのかもしれない。

 もちろん、便利になることは決して悪いことではないし、むしろその恩恵にあずかっていることのほうが少なくない。僕らの強みは多くのことを受け容れる柔軟性や混沌とした曖昧さのなかにあることも紛れもない現実だし、現実は現実としてまず尊重しなければならないことも理解しなくちゃいけない。そして、いつだって失われつつあるものはよりはかなく、よりよいものに感じられるわけでもあるし。

 だから、こういうことを考え出すときりがなくなってしまう。現代的な生活と、そこから失われつつある行動や感覚や規範のようなもの。もちろん、どちらがよくてどちらが悪いというものでは全然ないのだけれど、それでも欠けてしまおうとする何かを想像力で補うためにも、とっかかりになるある種の実体験は確実に必要なのだよなと思う。

 五感を信じることと、想像力を駆使すること。
 その2つは難しくて、けれどもどちらもものすごく大切なことなのだろうなと当たり前だよと言われるかもしれないけれど、あらためて思う。


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『雨天炎天』読了。再読。村上春樹。新潮文庫版。
 これは、村上春樹が「「女」と名のつくものはたとえ動物であろうと入れない、ギリシャ正教の聖地アトス」とトルコを一周する旅の様子を綴った紀行紀のようなものだ。僕の持っている文庫本は平成9年9月15日の15刷だから、社会人になってから読んだものと思われる。高校生のときからの熱心な読者ではあるのだけれど、読んでない本が数冊あるにはあって、そういう1冊だったのだろう。
 そして、再読。相変わらずの村上春樹の視線をいいなと思う。本書では、書かれた時期のせいなのかちょっと懐疑的なユーモアがところどころに顔を出していて、それもまた味が出ている。
 いくつかの部分を引用。


「つまり我々はあなたがたとは違う時間性の中で生活しています。これはずっと昔から続いている時間性で、『ビザンティン・タイム』と呼ばれています。この『ビザンティン・タイム』では一日は真夜中の十二時にではなく、日没に始まります。だからあなたがたの真夜中は我々の午前四時になるわけですね」(46−47ページ)


 子供はジャッキー・チェンのファンなんだと言う。ギリシャにおけるジャッキー・チェンの人気というのは、これはもう圧倒的である。ロバート・デ・ニーロとトム・クルーズとハリソン・フォードが束になってもかなわないんじゃないかという気がする。この人たちの通う映画館にはたぶんフィルム代の安い香港映画くらいしか来ないのだろう。(56ページ)


 彼らはどこにでもいる普通の田舎の青年たちなのだ。かつて日本の旧軍隊を支えたのと同じ層の青年たちなのだ。無知で素朴で貧しく、苦痛に耐えることに慣れている。上官に何かをたたきこまれれば簡単に信じてしまうだろう。彼らはそういう場合がくれば、粗野にも残虐にもなるかもしれない。あらゆる国のあらゆる軍隊の兵隊と同じように。でも今こうして大きなNATO小銃をかかえて美味そうにマルボロを吸っている彼らは粗野でも残虐でもない。ただの子供だ。(97ページ)


 それからここには美しい灯台があった。風が強く、浜辺の草がかすかな音を立てて揺れていた。冬を越す支度をしているらしく、灯台のちかくには薪にする黒い木材が積んであった。(130ページ)
※今日のDaysの最初は、この部分を読んだときに「冬を越す支度……」と思ったことがきっかけで書きはじめた。


 一階にはシャワー室がある(信じられない話だが、ここのシャワーは赤いコックが水で、青いコックがお湯である。(180ページ)



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『雨天炎天』を読んでいるときに、あるページにレシートが挟まっていた。ひょいと取り上げてみると、それはあるCDショップのもので、印字されている日付は「98年2月2日17:02」。思わずまじまじと見てしまった。この本を最初に読んだときに挟んだ(あるいは挟まっていた)ものだと思うのだけれど、レシートって日付や時刻が刻まれているためになまなましく感じられる。
 そのときに購入したCD1枚(2548円)のタイトルまでは記入されていないので何を買ったのかはよくわからないのだけれど、それでも買った店とそのときのことは記憶の隅にぼんやりと残っている。と言うのも、それは本厚木で買っていたのだけれど、その年、本厚木にはそのとき一度しか行っていないはずだったからだ。本厚木のなかに見てみたい店があって、それで電車に乗っていったときだったと思う。寒くて(そりゃあそうだ)、小田急の駅から少し歩いたところにある小さな店が密集しているような路地にそのCDショップはあった。時間帯のせいなのか、高校生くらいの学生たちの姿がものすごく多かった。
 社会人になってもう少しで丸1年という頃だった。そう、その日プレゼントを買ったのだ。
 もうだいたい5年前になるそのときのことは、今ではもう随分と淡い記憶だ。けれども、たぶんあのときのことだろうと一致はする記憶としてはまだ残っている。割合いろんなことを覚えている。そしてその時期には手書きの日記をつけていたと思って、いまそれをクロゼットの棚の置くから取り出してきた。

 そして、開いてみてびっくりする。

 1998年2月2日の日記の部分には、やっぱり違うレシートが貼られていたからだ。それは、本厚木のMYLORDの中にあった「Pier 1」のレシート。そして、日記にはこう書いてある。


 それにしても、このように日記めいたものに貼るレシートというのは後で考えてみると結構不思議な感じがするのではないだろうか。たとえば1年後に読み返したときも「1998-02-02 04:20」の文字ははっきり残っている。少なくとも、1年前のこの時間にはPier1で買い物をしていたのだということが明確な事実としてわかるということになる。記憶というのは本当に曖昧で事実をいい方悪い方(えてしていい方)にゆがめてしまうものだが、レシートの存在によってどうあがいてもくつがえすことのできない事実が認識され得るのである。それはちょっと考えてみるとすごいことだ。この世に確かなものなんて何もないというのは違って、確かな事実というのは結構たくさん存在している。


 手書きで、黒のサインペンか何かで、上手じゃない文字でそう書いてある。そして、その文章の右側にはPier1のレシート。すごい偶然! と一人部屋でびっくりしてしまった。たまたま再読した文庫本の中にレシートが入っていて、懐かしいなと思い、たまたまその時期の日記を読み返したらその前に訪れている店のレシートが貼られていたなんて! 面白いと思って、そのCDのレシートは捨てずに、そのもうひとつのレシートと一緒にしておく。1998年2月2日の僕は、どうやらPier1で買い物をして、その後CDを買いに行ったみたいだ(時間の経過として)。なんだか、ある石碑が見つかったら歴史上の事実に肉付けがされることに少し似ているのかもしれない。記録があるからこそ、もう過ぎてしまった過去について具体的に考えていくことができる。

 でも本当に、日記をつけているせいかもしれないけれど、その日のことは(ある種の雰囲気的なものだったとしても)覚えている。
 いろんなことを忘れてしまうから、(できる限りは)記録を残すことは決して無駄なことじゃないのだなとあらためて思った。
 だって、その日Pier1に行ったことまでは僕は覚えてはいなかったのだ。上に書いてあるように、細い路地を歩いていて、そこに学生が多かったことは覚えている。けれども、Pier1にそのときに行ったことはすっかり忘れてしまっていたのだ。それを、当時の日記を読み返していまはある程度クリアに思い浮かべることができている。記録が2つあることは2つの記憶を呼び返すことではなく、それ以上の記憶を呼び起こす。2つの事実の間にはある種の含みのようなものがあって、それが反響でもするかのように広がるのだ。

 昔の自分の行動であるとか、記憶を思い出すことって、もちろんものすごく個人的なことだ。そして、個人的には、そういう記憶を思い返すことは、決して意味のないことだとは思わない。少なくとも、そういういろんな記憶がなくなってしまうのなら、それはやっぱりひどく哀しいことだ。自分を構成している要素の大きな部分を、過去の行動や考えや出来事が占めているものでもあるし。
 だから、そういう記憶を思い返すことができるのはとても大切なことだと思う。
 もちろん、それがなくても日々を過していくことはできる。けれど、そういうものがあることがときどきちょっとした励みにさえなるのかもしれない。


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 10日の夜は、仕事が終わった後に7人で焼肉を食べに行く。
 後輩が見つけた普段は行かない駅の前にあるおいしいと評判の店。焼肉専門誌でも紹介されていると店先にも書いてあった(世の中には本当にたくさんの専門誌がある。世界は限りなくディープだと思う瞬間でもある)。
 そこは、店名のほかに「〜道場」という文字ものれんには書かれていて、そのせいなのか結構きっぷのよいおばちゃん(あるいはおばあちゃん)が元気よく働いているところだった。
 僕はいつものように1杯目を中ジョッキ、2杯目をウーロン茶というローテーションにしていたのだけれど、2杯目を頼むとおばちゃん(あるいはおばあちゃん)に「はい、この坊ちゃんにウーロン茶ね!」と大きな声で言われてしまう(他の人も言われていたけれど)。なんだか、そういうのって元気がよくて思わず笑ってしまう。
 肉はやっぱり評判になるだけあってとても美味しかった。店は随分と古い作りではあったのだけれど、こういうところの当たりは本当にかなりヒットなのだよなと思ってみたり(外れは限りなく外れ)。
 お腹いっぱい。くるしい……


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 お知らせ

 今日は昨日書きかけで力尽きた分と今日の分を一緒にしてあるので、長めなのです。


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