Sun Set Days
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2002年08月14日(水) よく似た場所/スイッチ/記憶と記録

 随分前のDaysでも少し書いたように、僕は学生時代の一時期に、カラオケボックスでアルバイトをしていた。学生の飲み屋街の外れにある小さな店で、店の前にはねずみ色のアスファルトをかためた、ゆるやかな傾斜になっている駐輪場があった。
 夜の間中、そこには数台から十数台の自転車がつねにあって、それらはときに片方に寄って停められ、ときにだらしなく扇状に広がっていた。

 その入り口の正面でもある緩やかな斜面には、いつもいろんな人たちがいた。
 盛り上がったグループの中の、さらに盛り上がった2人が部屋から出て話に花を咲かせていたり、その横では泥酔した男がぼんやりとしゃがみこんでいたりした。待ち合わせの時間よりも随分早く着いてしまって手持ち無沙汰に立っている男や、カラオケの後の興奮が覚めやらないのか、いつまでも解散せずにそこで立ち話をし続けるグループなんかもいた(ときどき、1時間以上も話している人たちもいた)。
 他にも、ナンパ目的で女の子だけの部屋に乱入していった男たちのグループが、なんとか飲み屋にと懸命に誘っている様子なんかも見ることができた。
 僕はよく入り口をちらりと見ていたから、カウンターの内側から、あるいは室内の清掃に行く途中に、そういう光景をよく見ることになった。お店は入り口に気を配ることがとても重要なことであると思っているので、入り口にはつい目をやってしまいそういう光景が視界に入るのだった。

 そのカラオケボックスでのアルバイトは、個人的にはとても楽しかった。基本的には娯楽の場所であるから楽しそうにしている人が多かったし、酔っ払ったお客さんに辟易してしまうときもあるにはあったけれど、それでもなかなかに興味深い様子を見ることができたのだ。

 だから、そのアルバイトをしている間の出来事で、覚えていることはいくつもある。書きはじめるときりがないくらいには。
 勤務時間は18時から閉店の午前1時までの7時間で、結構シフトを入れていたのでそれだけその場所で過した時間が長く、その分思い入れも強いのだと思う。カラオケボックスは意外に「待ち」の時間も多くて、同じアルバイトの人と思いがけずいろんな話をしたりもしたし。
 そういうことも含めて、いまでも結構いろいろ覚えている。


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 いまだに覚えていることはいくつかあるのだけれど、先輩の送別会の時のことはとくによく覚えている。
 ちょうど、僕が入った年に、4年生だった先輩が卒業、就職を期に辞めることになり、その送別会を行ったのだ。
 店の一番奥の部屋が20人以上入ることのできる大部屋で、送別会はその部屋を貸しきってやった。
 0時過ぎから非番のアルバイト仲間が集まりはじめて、1時に店が閉まった後、片付けもレジ締めも全部済ませて、その一番奥の部屋でみんなで乾杯をした。オーナーに了承をもらっての、閉店後のカラオケボックスの貸切り。
 パーティ用の料理と、たっぷりのお酒と、たくさんのうた。僕は歌が苦手なのであんまり歌わなかったけれど、それでも陽気な気分になるには十分だった。それに、どんなに散らかしても、そこに集まっているのは、散らかしたカラオケの部屋を掃除することに関してはエキスパートたちばかりだったのだ。だから、清掃はかなり手際よくて笑ってしまったりもした。

 そのとき、アルバイトの中で一番若かった僕はプラスティックのコップか何かを取りに行くためにパーティの途中で部屋を出て、薄暗い廊下を歩いてフロントまで行った。入り口のところで振り返ってみると、真夜中の水族館みたいに静かな廊下と、その突き当りの部屋のミラーライトの光が対照的に見えた。一番奥の部屋の喧騒は、ちょっと遠くに聞こえた。
 基本的には、深夜のカラオケボックスは忘れられた廃墟みたいにしんとしていたし、ロビーの椅子も、煙草の自動販売機も、電源だけは終日ついている通信カラオケの機械のランプも、すべてが調和がとれてそこにあるような気がした。なんだかここはいい場所だなとそのときに思ったし、窓の外に少しだけ積もった雪も、店の前の電灯のオレンジ色の明かりに照らされて、まるで音のない世界を見ているみたいだった。

 スイッチが入る瞬間なんてきっといくらでもある。
 静かな冬の夜なんてなおさらだ。
 当時、デジタルカメラの小さいやつをいつもポケットの中に忍ばせておくことができたらよかったのにといまは思う。
 そうしたら、そういうときにすぐにポケットから取り出して、シャッターを押すことができたのに。
 それはただの薄暗いカラオケボックスの写真でしかなくて、別に誰かに見せる写真にはなりえないけれど、自分のための写真にはなる。そしてそういうのがすごく大事だとも思うのだ。

 ときどき、写真を撮ることに心をとられていたら記憶に残らないから写真は撮らずに自分の目でしっかりと見るんだというような話を聞いたりもするのだけれど、僕は本当にたくさんのことを忘れてしまうから、写真を撮った方がいいんじゃないかなと思っている。
 そのときにどんなに印象的な光景だったとしても、記憶の中にしみこませることはたぶんとても難しい。
 だから可能であればそういうときには写真を撮ろうといまは思う。
 写真を見て、そのときのことをスイッチを入れ直すみたいに思い出すこと。写真がないとそういうことがあったことすら忘れている光景はたくさんあるし、1枚でも何かが残っていれば、それをきっかけに忘れていたようなことを掘り出していくこともできる。思い出すことは必ずしも必要なことではないのかもしれないけれど、それでも忘れていくばかりなのもやっぱりちょっと哀しいことだと思うし。
 たとえば雪原を歩いていたら、すぐに振り返ったら自分の足跡が残っているだろう。けれどもしんしんと雪が降り続けば、その足跡は雪で覆われてしまう。忘れてしまうっていうのはたぶんそういうことだ。だったら、とちょっとだけ思う。雪原の途中で振り返ってぱちりと写真を撮る。そうしたら、あとからその写真を見るたびに、その寒い冬の夜のことを思い出すことができるんじゃないかって。
 それとも、そういうのってお手軽であんまりよくないことなのだろうか? 情緒に欠けているのだろうか?

 それでも形として残るものというのはときにとても重要で、僕はそのことを出張時代に購入したデジタルカメラと、いまこうやって書いているDaysで実感するようになった。たとえば、ある出張先の休日に撮った写真を見ると思い出すことは確かにあるし、以前の文章を読み返すことで思い出すことだってもちろんある。そういうものがなくても思い出すことはできるのかもしれないけれど、そういうものがあることが思い出すことに推進力をつけてくれる。
 つまりそれは、手漕ぎボートで記憶の島に向かうのもいいけれど、ときにはエンジンのついたボートで記憶を目指すのもいいんじゃないかということだ。あるいは、歩いて目的地に行く人もいるし、自転車に乗る人もいるし、自動車に乗っていく人もいる。ようは、自分なりに納得することができるものを利用すればいいということ。当たり前のことだけれど、あらためてそう思う。
 だから、美しい光景を自分の胸に深く刻みつける人もいれば、忘れてしまう情けなさでもって写真に残しておくような人もいる。でもそれは人それぞれの話でしかなくて、その人にとってそのときどきの一番いいやり方を選んでいけばいいのだ。


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 ……その夜、送別会は午前4時くらいまで続いた。すべてが終わって、外に出たときには随分と寒かった。店の前で先輩に「連絡しますね」と言い(その先輩とはその後も何度か遊んだけれど、いまではすっかり疎遠になってしまい、音信不通になってしまった)、それから他のアルバイトたちと別れ、そのまま帰路についた。吐く息は白くて、吐く息が白いとむやみに息を吐きたくなるから、バカの一つ覚えみたいに繰り返し白い息を吐いて、その行方を何とはなしに見ながら歩いていた。

 いまでも、当時のアルバイトのことや、深夜のカラオケボックスのことをときどき思い出す。
 ひとつひとつの部屋に小さなガラスがついているそこは、真夜中の水族館にとてもよく似た場所なんじゃないかと思う。


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 お知らせ

 今日のCDはちょっと最近の天野月子の『Sharon Stones』です。


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