Sun Set Days
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| 2002年08月11日(日) |
一言メモ+About "Days" |
たまにネットサーフィンをすると(この言葉って死語なのだろうか?)、いろんなページがあってすごくおもしろい。 知らない人の知らないページに行って、見たり読んだりして、そのページのリンクからまた名前だけでフィーリングだけで選んで、見たり読んだりして、またリンクから選ぶ(……以下繰り返し)。たまにここおもしろいなーとか思うと「お気に入り」に追加したりする。そして、気がつくと知っている名前のページがリンクの中に紛れていたりして、世間は意外に狭いのかとか思う。あんまりそういうことはないのだけれど。
今日はそういうふうにいくつかのサイトをめぐっていく中で、一言メモみたいなものを思いつくまま残すようなのが流行っているのだろうか、と思った。女の人のページでも男の人のページでも、結構たくさんの人がそういうのをやっていた。本当に日々の気付きやつぶやきみたいなものを、ごく短く、あっさりと書き連ねていくようなスタイルのやつ(まじめなやつから、ちょっとふざけたやつまで、いろいろ)。
短い分妙な説得力があったり、こちら側が解釈する余地が大きいので共感できたりもしておもしろいし、Text Sun Setにそういうのを入れる予定はないけれど、Daysでちょっとやってみようと思う。
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(※この下の日付と時間と内容は適当です)
□02/08/11 06:01 ヒムロックはロックのジャンルじゃないんだって。
□02/08/11 07:15 近くのセブンイレブンのパートのおばさんは歌丸ににてる。
□02/08/11 09:27 コンタクトおとした。
□02/08/11 11:15 サイフおとした。
□02/08/11 12:58 携帯おとした。
□02/08/11 14:02 木陰で涼んだ。キモチイイ。
□02/08/11 15:41 眠っている間に影が移動して右腕と右頬だけ日焼け。
□02/08/11 16:30 公園のはずれでヘビを見た。心臓がとまるかと思った。
□02/08/11 16:32 ヘビを見たらなにかあるんだっけ? それとも踏むんだっけ? 夢で見るんだっけ?
□02/08/11 17:30 近くのローソンのアルバイトの男の子はこん平ににてる。
□02/08/11 18:30 「サザエさん」のオープニングの絵が変わっているとうれしくなる。
□02/08/11 19:50 巨人が弱いとつまらないけど、強すぎてもあんまりおもしろくない。
□02/08/11 21:30 向かいのファミリーマートのオヤジは円楽そっくり。
□02/08/11 22:21 花火したい。
□02/08/11 23:10 少しだけ眠ったら、大喜利にでる夢をみた。ざぶとん全部とられた。
□02/08/11 23:16 最近「アミノサプリ」ばっかり飲んでる。
□02/08/11 23:50 キオスクのおばちゃんはいつも元気がいいのでこっちまで元気になる。
(※この上の日付と時間と内容は適当です)
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と、こんな感じのやつ。たいていフォントがすごく小さい。 いろんなパターンの、たくさんのスタイルのページがあって、おもしろいよなと思う。そういうふうに、普通だったらそういう人の日々の気付きやつぶやきなんて絶対に知ることなんてないのに、そういうものをささやかにではあるけれどふれることができるというのはネットのすごいところのひとつだと改めて思う。 やっぱり世界は広い。たとえネットの世界でも。
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僕は毎日asahi.com(http://www.asahi.com/home.html)を見ているのだけれど、今日その中に『「安眠」の通説覆す手引書出版』という記事があった。
これは厚生労働省の研究班が医薬関係出版社から出版したもので、「睡眠障害の対応と治療ガイドライン」という本(2200円)らしい。 少し引用すると、
よく言われる「8時間睡眠」の学説的根拠は全くない。個人差や季節の差もあり日中の眠気で困らなければ十分▽早く床に就くのは逆効果。いったん床を出て眠くなってから再度床へ▽起きてすぐ日光を浴びると15、16時間して眠くなる。早寝より早起き――といったように、無理なくできそうな提言が目につく。
また、昼寝は浅く20〜30分の方がいいとか、午後3時以降の昼寝は夜の睡眠にあまりいい影響を与えないというようなことも書かれているみたいだ。今回のような手引書が発行されることは珍しいことであるそうで、意図としては「不眠症には『早寝早起き』など子どものしつけのような指導がなされてきたが、医学的データに基づき、生活が不規則になりがちな人も実行できる先進的なものを目指した」とのこと。
個人的には、睡眠不足&不規則な暮らしというのが結構染み付いてしまっているようなところがあるので、こういうのを読むとちょっと安心する。もちろんのこと個人差はあるわけだし、日中の眠気で困らなければ十分というのがよかった。8時間睡眠に根拠はないというようなことをときどき聞いたことがあったけれど、心のどこかでは8時間はとるべきなのだろうなと思っていたようなふしはあるし。
ただ、睡眠って本当にそれについて意識しすぎるとあまりよくはないような気がするので、あんまり「〜しなければ」というような考えに陥らないようにしたいなとは思う。
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ここからは、ある程度自分のための記録として。
8月9日で、Daysが丸1周年を迎えた。ホームページ「Text Sun Set」は昨年の8月18日開設だけれど、「Sun Set Days」の方はそれに先立つ10日からスタートしていたのだ。ということで、Daysだけを見ると、9日で丸1年が過ぎたことになる。
この1年、結構な頻度でDaysを書いていたような気がするのだけれど、実際に数字で見てみるとどうなのだろうと思い、記録として確認してみようとちょっと調べてみた。
各月のDays記入回数は以下の通り。
2001年 08月 18日 09月 24日 10月 29日 11月 23日 12月 25日
2002年 01月 23日 02月 14日 03月 17日 04月 21日 05月 22日 06月 17日 07月 18日 08月 08日
合計 259日
12ヶ月で割ると、1ヶ月平均21.6日。 1年を365日とすると、71%の記入率。
こうして数字で見てみると、思ったよりも書いていないなという気がする。80%くらいは書いているイメージがあったのだけれど。それだけイメージというものが曖昧なものだということなのだろう。 いずれにしても、数字にして見てみると、なんだって基本的には事実をベースにした考えにもっていくことができるので、個人的にはかなり好きだ。事実ベース、数字ベースでモノゴトを組み立てなければならないなんていうのは社会人1年生のときによく言われることなのだけれど(印象で物事を言うなとか)、こういう考え方になれたのは社会人になってよかったと思うことの一つだ。それが複雑であれ簡単であれ、数字を介することによって具体的な話になってくるし、そうでないとモノゴトがなかなか進んでいかないし。
話がちょっとずれてしまったけれど、Daysを書きはじめて、日記(のようなもの)を残すことは重宝する面があると改めて思っている。たとえば、今日も数を数えるために昔のDaysを少し読み返してみたのだけれど、ちょっと読み返すだけでもすっかり忘れていたようなことはかなりあって、それも記録を残していなければなかなか思い出すこともなかったのだろうなと思ったのだ。 もちろん、思い出すためのある種のきっかけはきっとあることと思う。人生において、ちょっとした気付きは日本中のコンビニの数よりはきっと多いはずだし。けれども、それはかなりの程度で偶然性に依拠しなければならず、受け身なものとなってしまう。 逆に、日記のような記録があると、そこに立ち返れば、少なくとも思い出すことはできる。そういうのはもちろん弊害だってきっとあるのだろうけれど、それでも重宝はする。見たくなかったら読み返さなければいいのだし。
もちろん、Daysだっていつまで続くのか続けるのかはわからないし、更新頻度だって絶対に(いままで以上の)波が訪れることになるとは思う。ほとんど月に2、3度しか更新されなくなるかもしれない。けれども、それはそれで別にいいと思うし。自分が書きたいとか、書こうとか、そう思えているうちはその通りやって、そうでなければやらないだけだ。
Daysを書き始めた最初の頃、自分の中でいくつかの約束事があった。ひとつは「リアルな生活の方が絶対に大切なのはわかりきっていることなのだから、そちらを尊重していくこと」というもので、もちろんいまもそう思っている。それなので、Daysを書かなければという、偶然上の眠りの記事のところでも書いたけれど「〜しなければならない」というふうにだけはならないようにしようと思う。Daysは義務でもなんでもないし、楽しみのためにやっているわけだし。
あと、他にも読み返していやな気持ちになることは書かないようにしているし(自分の文章に引きずられてネガティブになるのはいやだし)、出来事等々においても結構書いていないことだって多い。もちろん、それはDaysが公開されているものという性質があるからで、いちおうこれでもアップする内容は選んでいるのだ(くまとかくまとか、くまとか)。 ということで、公開していなければもっといろいろ踏み込んで書くのかもしれないけれど、逆に公開していないければこうも続けることはできなかっただろうなと思うことも事実なので、これからも書くことと書かないことと書けないことのバランスをとりつつ、マイペースで続けていこうと思う。
そしてもちろん、大きな目的のひとつに「文章の練習」ということがあって、文章を書くということはある程度習慣性の必要なものであるとどこかで思っているので、こういう日記は重宝している。
自分で読み返してみると、元気なときと疲れているとき、あるいは調子のいいときとそうじゃないときが結構わかったりもして、そういうときの調子のようなものをできるだけ一定に保つことができるようになりたいというのはちょっと願望ではある。 調子というものが絶対にあるというのはわかっているのだけれど、その絶対値の差のようなものは努力とか経験とかそういうものでいくらでも縮めることはできるのではないかなと思っているのだ。そして、調子の悪いときには書かなければいいというのではなく、練習という側面から考えると、そういうときでも書くことができる状況であれば書いて、アップしていくことがたいせつなんじゃないかと思う。 継続性のもたらすある種のちからのようなものは、結構打たれ強いものになると思うところもあるし。
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お知らせ
今日はR-Kelly。『TP-2.Com』。ひさしぶりに聴くといつもすごいと思わされてしまう。声がツボかどうかということも大きいのだろうなと思う。
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